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東洋バルヴ

東洋バルヴ株式会社(とうようバルヴ、Toyo-Valve Co.,Ltd.)は、東京都中央区日本橋人形町3丁目に本社を置くバルブ・流体制御用機器等の販売会社である。株式会社キッツの完全子会社、株式会社キッツマテリアルを前身とし、2004年(平成16年)に旧・東洋バルヴ株式会社および同社子会社の株式会社トーバルエンジのバルブ事業を譲り受けて現社名に改称した。当初はメーカーであったが、2012年(平成24年)に生産部門を株式会社キッツに移管した。本項では旧・東洋バルヴ株式会社についても述べる。旧・東洋バルヴ株式会社は1919年(大正8年)、長野県諏訪郡上諏訪町(現・長野県諏訪市)で製糸用蚕繭買い取り業を営んでいた長男の北澤國男、上諏訪町清水町の鋳物工場平野屋鋳造所に勤務していた次男の北澤友喜ら4兄弟が、製糸工場向けバルブの製造販売を行う「北澤製作所」として上諏訪町湯の脇に創業した。寒冷地の工場向けにカランを肉厚として凍結破損しにくくした「諏訪型」と呼ばれるバルブを開発して急成長。1943年(昭和18年)に合名会社から株式会社に改組し、「北澤工業株式会社」に改称した。1938年(昭和13年)、「東洋バルヴ工業株式会社」を分社。戦時中は軍需工場の指定を受けて陸軍88式大砲信管を製造したほか、時計式時限信管を開発・製造した。1953年(昭和28年)に東洋バルヴ工業株式会社を吸収合併し、1963年(昭和38年)に東洋バルヴ株式会社と改称した。諏訪工場(長野県諏訪市湖岸通り5丁目)を拠点に、ダクタイル鋳鉄バルブをはじめとする国内有数のバルブメーカーとして量産ラインを拡充。大量生産方式で世界100カ国以上に輸出し、海外にも販売拠点を広げるなどした。オイルショック後の不況の影響を受けて1976年(昭和51年)に倒産したが、その後も積極的に新技術の導入を図りながら経営を再建した。1997年(平成9年)には長野県茅野市金沢に茅野工場を開設。工業用・一般用の各種バルブ、アバカス継手などの製造販売を行った。北澤製作所・東洋バルヴで技術を培った多くの技術者が戦後独立し、「東洋のスイス」と呼ばれた諏訪地方の精密工業発展の母体となった。オルゴールムーブメント・電子機器メーカーの株式会社三協精機製作所(長野県諏訪郡下諏訪町、現・株式会社日本電産サンキョー)、カメラメーカーの株式会社ヤシカ(長野県岡谷市、現・京セラ長野岡谷工場)、ポンプメーカーの株式会社荻原製作所(長野県諏訪郡下諏訪町)などが誕生した。また北澤國男の長男北澤利男も、北澤工業常務取締役時代の1951年(昭和26年)に退社して独立。北澤工業および東洋バルヴとの資本関係を一切持たずにバルブメーカー株式会社北澤製作所(現・株式会社キッツ)を設立し、世界有数のバルブメーカーに成長させた。経営合理化の一環として2002年(平成14年)に諏訪工場を閉鎖し、製造ラインを茅野工場に統合した。2004年(平成16年)、株式会社キッツが事業再編の一環として東洋バルヴのバルブ事業全般を買収。株式会社キッツマテリアルが受け皿会社となり、社名を東洋バルヴ株式会社に改称した。事業継承後も引き続きバルブ製造を行い、キッツが培った多品種少量生産方式を導入して経営効率の向上を図ったが、2012年(平成24年)に生産部門はキッツへ承継され、現在は販売のみを担っている。株式会社キッツマテリアルにバルブ事業を譲渡した旧・東洋バルヴ株式会社は、三井物産株式会社系列の「株式会社エヌビーアイ」に改称し、所有する諏訪工場跡地(面積約7万3000平方メートル)の売却をはかった。このうち約1万平方メートルについては旧・東洋バルヴ時代の2003年(平成15年)に地元諏訪市が買収。残る約6万3000平方メートルについては、民間への売却交渉が行われたが不調に終わった。しかし、工場閉鎖後の2002年(平成14年)から毎年「諏訪圏工業メッセ」の会場として開かれていることなどから、諏訪地方精密工業の発祥の地としての意義を認めた諏訪市が、諏訪市土地開発公社を通じて2006年(平成18年)に約20億8000万円で買収した。諏訪市は市役所内に「旧東バル跡地活用プロジェクト」を設けて活用方法を検討している。

出典:wikipedia

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