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大寺安純

大寺 安純(おおでら やすずみ、1846年3月9日(弘化3年2月12日) - 1895年(明治28年)2月9日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。薩摩藩士・大寺七郎の二男として生まれる。幼名は彌七。幼くして父を失う。20歳にして造士館助教(授讀助)となった。戊辰戦争従軍の後は陸軍にすすむ。1871年に陸軍少尉に任官して一番大隊分隊長、陸軍中尉として半小隊長、東京鎮台付などを経て、1874年2月から5月にかけて佐賀の乱に出征し、続いて台湾出兵に従軍した。広島鎮台付、歩兵第12連隊付などを経て、陸軍戸山学校で学ぶ。1877年3月から8月にかけて歩兵第12連隊中隊長として西南戦争に出征した。歩兵第11連隊中隊長、同連隊副官、歩兵第8連隊大隊長、近衛歩兵第2連隊大隊長、歩兵第3連隊長などを歴任し、1888年11月、陸軍大佐に進級。第2師団・第4師団・第1師団の各参謀長、欧州出張などを経て、日清戦争に出征。1894年11月、陸軍少将。翌年1月、歩兵第11旅団長。同月20日に栄城湾に上陸し、威海衛に向けて進軍中に砲弾を胸に受けて戦死した。日清戦争において唯一の将官戦死者であった。その生前の軍功により、1895年8月、嗣子千代田郎に男爵が授けられた。また1898年には安純にも正三位が追贈された。大寺少将が被弾の際に着用していた軍服、軍帽は靖国神社遊就館にて展示保管されており、戦死から1世紀を経た現在も見ることが出来る。また、版画『威海衛百尺崖所ニ大寺少将奮戦ス』もあわせて展示されている。

出典:wikipedia

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