学校法人成城学園(がっこうほうじんせいじょうがくえん)は、成城大学等を設置する学校法人。成城学園の歴史は、1917年、澤柳政太郎が日本の初等教育改造を志し実験的教育の場として、成城学校内に併設した成城小学校に始まり、さらに父兄会の財政的支援のもと、卒業生の受け皿として(旧制)成城第二中学校・(旧制)成城高等学校が設立され、学園の拡充が進んだ。この過程で成城小学校・第二中学校・高等学校を運営する独立の財団法人成城学園が成城中学校から分離して設立され、これが現在の学校法人成城学園の前身となった。成城学園校歌は在学生に対する公募というかたちでつくられ、昭和2年11月6日に開催された全学園体育大会で当選作が発表された。作詞は高等科理科乙類二年の鳥居英造、作曲は高等科文科甲類二年の深野明雄 (ともに旧制成城高等学校の第一回生)。成城学園校歌作詞 鳥居英造 作曲 深野明雄
1 春の武蔵野あけそめて 黎明つぐる鳥の声
ふりにし松の語るもと 我が成城に栄光あれや
はえあれや
2 都のどよみよそにして 友とえらびしこの自然
なれの黙示を胸にして 内なるものを培わん
いざやいざ
3 秋の芙蓉のにおうごと 時空の上にそそり立つ
真理こそは一すぢに 我がとこしへの命なれ
いのちなれ
4 高くかかげし全人の 旗色しるく理想へと
学びの道に進みゆく 我が成城に栄光あれや
はえあれや
成城学園は成城学校内に併設された成城小学校に由来するが、当初から大正自由教育を行うなど独立色が強く、まず成城中学とは別に自らの系列の学校として成城第二中学を設立、ついで第二中学を尋常科として包摂する形で旧制成城高等学校を創立した時点で、財団法人成城学園を設立し、正式に成城学校から独立した。(財団法人であるのは戦前には学校法人という制度は存在しなかったため)この時点では澤柳の新教育の実験学校としての性格を残したいという意向もあって、成城小学校は新宿に成城学校に属したまま残された。ただし、学園に属する成城玉川小学校と同様に、無試験で成城高等学校尋常科へ進学できる取り決めとなっていた。成城小学校の成城学園への移管が完了するのは1929年のことである。財団法人成城学園の設立以後は、成城学園には、旧制成城高等学校(旧制成城第二中学校は高等学校尋常科として解消)、(昭和4年から)旧制成城小学校(旧制成城初等学校)などが属し、成城学校には、旧制成城中学校が属した。戦後の学制改革により成城小学校(成城初等学校)は成城学園初等学校に、成城高等学校は、成城学園高等学校・中学校と成城大学となる。対し、成城学校側は、成城中学校・高等学校となった。したがって、単に成城高校とだけいった場合は、戦前の成城学園の旧制高校と、戦後の成城学校の新制高校の、いずれをも意味しうるため、いずれであるのかにつき、注意が必要である。(これは同じ学校が帰属が変わったということではなく、名称が互いに変わっただけである。)、なお、大阪府立成城高等学校とは関連がない。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。