竹槍(たけやり)とは竹を加工して製造された槍状の簡易武器である。竹槍は、竹を適当な長さに切った上で、先端部を斜めに切断した、あるいはその円周の一部だけを尖らせたもので、更に火で炙るなどして硬化処理を施した簡易の武器であるが、竹が熱帯から亜熱帯・温帯・亜寒帯に掛け広い範囲に自生しているため、この竹自生地域ではほとんどタダ同然で入手できる武器である。ただしその威力は一度使用すれば貫通力が鈍る使い捨て程度で、こちらも「簡易」と呼ぶに相応しいものとなっている。使用される竹は該当地域に自生するものに限られるため、その太さはまちまちである。しかし竹が垂直方向に繊維が揃っていて丈夫で、かつ中空であるため軽量、加えて使い捨てとはいえ白兵戦・CQCにおいては十分な殺傷能力を持っていたことから、広い範囲で様々な形で利用されていたと考えられる。なお武器の性質としては竿状武器(ポールウェポン)となるが、その多くでは入手しやすいこと(=量産しやすいこと)から集団で利用するためにも便利が良く、これによって対象を相手の武器や牙・爪の間合いの外から取り囲んで、突いたり叩いたりして対象を攻撃するのに向いていた。その起源は古く、竹林が自生する地域では鉄器文明以前から使用されていたとも言われているが、記録がない有史以前でもあり、材質的にも遺物としても残りにくいため、詳細は不明である。日本では戦国時代にはすでに使用されていた記録があるほどであり、武器を持たない農民などが一揆を起こす時にも頻繁に使用した。明智光秀も落ち武者狩りをしていた土地の農民らの竹槍に掛かり果てたとされる(ただし異説もある)。江戸時代の百姓一揆による強訴は、支配層の武力転覆を狙ったものではなく、騒擾を起こすことによって責任問題を恐れる藩や代官に要求をのませようとする性格の行動であったため、本格的な武器ではなく竹槍などが持ち出された。明治に入ると廃れていたが、第二次世界大戦の日本では本土決戦に備えた国民義勇隊の主要装備のひとつとされ、学生や主婦など民間人の間で竹槍の製造と訓練が行われた(兵役を経験していない者には銃の取り扱いは不可能で、またスイスのような軍装の各家庭への常備もされていなかった)。当時は白兵戦の事例も多いため全く無意味な装備とはいえないものの、反復使用の困難な竹槍での突撃は自殺的なものとならざるを得ない。これらの竹槍は、墜落・投降したアメリカ軍パイロットにも向けられ、民衆が無差別爆撃への報復として竹槍や農具等で私刑的に殺害してしまった事件もあるとされる(直接関与した者はのちにC種戦争犯罪に問われた)。また、太平洋戦争開戦から大戦末期にかけての時期には、使用する兵器に欠く陸海軍部隊が小銃の代わりに装備した例が多見される。明治以前に使用されていた物は長さが通常の槍と同じく3メートルから4メートルと長かった。第二次世界大戦で日本が使用した物は子供用が150センチほど、大人用が170~200センチほどだった。直径は3~5センチである。実態としては槍というよりも銃剣の代用品であり、行われた訓練(竹槍術)は銃剣術と同じだった。ベトナム戦争でも南ベトナム解放民族戦線がゲリラ戦用の無音武器やブービートラップ(仕掛け罠)として竹槍を使用していたと言われており、現代でも未開地の紛争では使用される事例がある。これらは敵の予想進路に落とし穴を掘ってその底に突き立てるというものや、ワイヤーに引っ掛かると竹槍が飛び出すなどするもので、ベトナム戦争当時では、それに掛かったアメリカ軍兵士は見るも無残な姿となったため、この惨たらしいトラップはアメリカ軍兵士にとって士気を下げるほどのストレスを与えたともされる。ポル・ポト派も、これらの罠を地雷に次いで多用したが、竹槍ではなく木を尖らせたものを使用した。アメリカ陸軍のサバイバルマニュアル (FM3-05.70, May 2002) の12-18項は即席の槍を作る方法を説明しており、合わせて竹槍の作り方も図解されている。物干し竿ほどの太さの真竹を一間(約1.8m)くらいの長さに切り、先の部分を鋭く削る。この際、竹の節をまたぐように切っ先を設けると、節が無い場合に比べて強度が多少上がる。先端を火であぶって硬度を高める。最後に重油などを塗って滑りをよくすれば完成。第二次世界大戦末期の日本では「対人用爆竹槍」(爆槍)という兵器が実在した。簡単に言うと竹槍の先に爆薬を詰め たもの。陸軍技術研究所によって考案され、配備された自活兵器のひとつ。2メートルほど長さの竹筒の先端に爆薬と簡易信管を装着し、これで敵を突くと先端が爆発して敵を殺傷するという自爆兵器である。本来の刺突爆雷は棒の先に爆雷を付けた物であるが、物資の窮乏のため爆雷を用意できず、竹筒の先に直接爆薬と信管を詰めた。爆薬はダイナマイト、安全装置は厚紙などの有り合わせの物を使い、信管も釘や針金などで自作した撃針を雷管に付けただけの簡単な構造であった。運用法は竹槍術に準ずる。また実戦で使用されたかは不明であるが、爆槍を巨大な弓矢で飛ばす兵器や、爆槍の末尾に推進火薬を詰めてロケット弾にした「対空噴進爆槍」という対空兵器まで考案されていた。ナチス・ドイツ製の携帯用対空ロケット砲フリーガーファウストに近い運用法であったと見られる。なお、このように物資が窮乏する中で正規の兵器に対抗するためにありあわせの物やガラクタで作った物を自活兵器と言い、大戦末期の日本軍では陸軍技術研究所をはじめ、各部隊単位でもいくつも試行錯誤していた。陸軍技術研究所は竹で作った爆槍の他にも、簡易投擲器である弩弓、和紙とコンニャク糊で作った大陸間兵器である風船爆弾など数々の自活兵器を開発している。
出典:wikipedia
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