ハワード・ジョゼフ・ケンドリック(Howard Joseph Kendrick, 1983年7月12日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ジャクソンビル出身のプロ野球選手(二塁手・三塁手・左翼手)。右投右打。現在はMLBのロサンゼルス・ドジャースに所属している。ウェスト・ナッソー高校を卒業後、セント・ジョンズ・リバー・コミュニティ・カレッジへ進学し、カンファレンスのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞。のMLBドラフトでアナハイム・エンゼルスから10巡目(全体294位)指名を受け、6月19日に契約成立。この年からマイナーリーグ(ルーキー級)でプレーを始める(42試合出場)。には、ルーキー級アリゾナリーグ・エンゼルスとA級シーダーラピッズ・カーネルズの2球団合計で78試合に出場して打率.363・10本塁打・49打点・出塁率.388・OPS.957・17盗塁をマークし、9月1日にミッドウェスト・リーグのオールスターに出場した他、Topps (トップス社)のA級オールスター・チームにも選出されている。は、A+級ランチョクカモンガ・クエークスとAA級アーカンソー・トラベラーズの2球団合計で109試合に出場して打率.367・19本塁打・89打点・出塁率.406・OPS 1.020・25盗塁と言うハイレベルな数字を叩き出し、6月28日にはカリフォルニアリーグのミッドシーズン・オールスターに、9月5日には同リーグのポストシーズン・オールスターに出場した他、Toppsとベースボール・アメリカ誌が選ぶオールスター・チームにも選出された。また、オフのウィンターリーグでは、アリゾナ・フォール・リーグのオールプロスペクト・チームに選ばれている。シーズン終了後、チーム内の有望株リストで2位にランクされ、ベストヒッター・フォー・アベレージに挙げられた。4月26日のデトロイト・タイガース戦において9番・二塁手でスタメン起用され、メジャー・デビュー(4打数無安打)。5月1日のオークランド・アスレチックス戦では、センター前に初安打を放っている。当時の二塁には好守で長年チームを支えてきたアダム・ケネディがおり、より多くの出場機会を得るために一塁手・三塁手としてもプレー。しかし結果が出せず、2週間ほどでマイナー降格を命じられたものの、AAA級ソルトレイク・ビーズで69試合に出場して打率.369・13本塁打・62打点・出塁率.408・OPS 1.039・11盗塁と着実に成長を続け、7月9日はフューチャーズゲームに、7月12日にはパシフィックコースト・リーグのオールスターに出場。前年に引き続きベースボール・アメリカ誌が選ぶオールスター・チームにも選出された他、同リーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーと、AAA級のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーをダブル受賞。7月14日にはメジャー再昇格を果たし、16試合連続安打をマークするなど、序盤戦の不振を払拭した。は前年オフにケネディを放出したため、正二塁手として起用されたが、2度の故障者リスト入りもあり、88試合の出場にとどまった。左手指骨折に泣かされはしたものの、高打率を残し、「特に走者を置いた状況での打撃に進歩の跡が見られる」とマイク・ソーシア監督を感心させた。もケガに見舞われ、4月と8月にハムストリングを痛めて2度の故障者リスト入り。出場数は100未満に留まった。一方で打撃は好調をキープ。左右両投手、ホーム・アウェー全てにおいて打率.300を超え、特に走者が居る時は.351、得点圏では.366と才能のきらめきを見せた。は自身初のシーズン100試合以上(105試合)に出場。3年連続の打率.300超えこそならなかったものの、打率.291を記録し、シュアな打撃の健在ぶりを見せた。出場試合数が増えた事により、本塁打(自身初の二桁本塁打)と打点でも自己最高の数値をマークした。は158試合に出場し自身初の規定打席到達を果たした。しかし打率は自己最低の数値であり、出場試合数が約50試合増加したにもかかわらず、本塁打は増えなかった。は2年連続で規定打席に到達。三振119を記録し、打率も2年連続で.300に届かないなど、好打者としての性質がやや減退するが、一方でいずれも自己ベストとなる6三塁打、18本塁打を放ち、長打力が伸びた。また、自身初のオールスター出場も果たし、収穫のあるシーズンを過ごした。は2年連続の100三振以上となる115三振を記録。走塁面では3年連続で14盗塁をマークしたが、前年に増加した長打力が鳴りを潜め、8本塁打に留まった。は4年連続で規定打席に到達したが、規定打席に到達したシーズンとしては最小となる122試合の出場だった。一方、打撃面では規定打席に到達したシーズンとしては最高の打率.297、最小の89三振を記録し、シュアな打撃を取り戻した。4月23日には、サヨナラ本塁打を含む1試合2本塁打を記録。7月30日には通算1000安打に到達した。も正二塁手として157試合に出場し、チームトップの181安打を記録。ホームランは約半減となる7本に終わったが、4年連続.285以上となる打率.293・75打点 (自己ベストタイ) ・自身4度目となる14盗塁を記録した。守備では11失策を犯して守備率.984だったが、DRSは前年の - 3から + 7と、大幅に改善した。2014年12月10日にアンドリュー・ヒーニーとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。11月2日にFAとなった。2月4日、ドジャースと2年総額2000万ドルで契約を結んだ。2005年辺りから「マイナー最高打者」との評判が定着し、ベースボール・アメリカ誌の有望株リストでは、2006年版12位にランクされた。天才的なコンタクトを誇り、内角低目から外角高目まで幅広く対応出来るため、「右のトニー・グウィン」とも称されている。スイングはコンパクトでシャープ、かつリストも強いので、痛烈なラインドライブを打てる。特に「投球の組み立てを理解出来るようになった」と語る2005年以降、長打力が増した。体格の不利を豊富な練習量で補って来た努力家でもあり、「将来の首位打者」との呼び声も高い。広角に打ち分ける卓越した打撃センスを有する反面、積極打法のため四球は選ばない。スピードがあり、レンジ(守備範囲)も広いが、盗塁技術に関しては改善の余地がある。また、故障がちな虚弱体質も不安材料。グラブさばきは基本に忠実で、二塁手の他に一塁手・三塁手としてのプレー経験がある。2016年シーズンからは同じ二塁手に前年シーズン途中から加入したチェイス・アトリーがいることもあり左翼手として出場することも多くなった。マイナー7年間の通算成績は、打率.360・出塁率.403・OPS.974・75盗塁(成功率74パーセント)。
出典:wikipedia
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