イコンタ("Ikonta" )はツァイス・イコンが製造したスプリングカメラである。「世界初のスプリングカメラ」と称されることもあり極めて初期の製品であるが、これ以前のスプリングカメラとして少なくともアトムがある。誕生直後は合併前の製品を継続して生産していたツァイス・イコンが初めて発売したオリジナル設計のカメラでもある。最初のイコンタは元コンテッサ・ネッテルにいて後に退社しナーゲルを創業したアウグスト・ナーゲルを中心に開発された。ツァイス・イコンの新コードナンバーが最初に使用されたのはイコネッテであるがこのイコンタ以後急速に新コードが広がったことを以て、酒井修一はツァイス・イコンのこのカメラに掛ける期待が大きかったことを示す傍証としている。ドレーカイル式連動距離計を装備したスーパーイコンタ、非連動距離計を装備したメスイコンタ、3×4cm判のベビーイコンタ、ライカ判のイコンタ35もある。ドレーカイル式連動距離計は回転プリズムを使用したもので、従来と同じ大きさの小型ボディーにうまく組み込まれており世界中に多数ある連動距離計装備カメラの中でも傑作の一つに数えられている。以前はクラシックカメラの代表的存在の一つとして扱われており、銀一カメラ社長は「人気からみた名機12選」という記事でイコンタをライカ(M3/IIIg)に次ぐベスト2に挙げている。また小型軽量で携行に便利なため風見武秀はテッサーつきのスーパーセミイコンタとスーパーイコンタを愛用したし、白籏史朗は1965年にスーパーイコンタIを6,000円で買いその次の山行に持参して撮った写真が2枚計16,000円で売れたのを始めとして愛用し、1986年の時点で7台を所有するに至っていた。同種のカメラには普及版のネッター、さらに普及版のボブ、ベークライトボディーのシンプレックスがある。幾多の改良を受けたため多種多様に渡り、また3系統の呼称が混在して使用されているためかなり困難である。レンズ、シャッターも多種の組み合わせがある。6×4.5cm判をセミイコンタ、6×6cm判をイコンタシックス、6×9cm判をイコンタ、連動距離計付き6×4.5cm判をスーパーセミイコンタ、連動距離計付き6×6cm判をスーパーシックス後にスーパーイコンタシックス、連動距離計付き6×9cm判をスーパーイコンタ、非連動距離計付き6×9cm判をメスイコンタと称し、改良に従ってIからVまでの記号を後に付けて行く。ツァイス・イコンのコードナンバーを併記することで区別することが多い。すなわち6×4.5cm判をイコンタ52*、6×6cm判をイコンタ52*/16、6×9cm判をイコンタ52*/2、連動距離計付き6×4.5cm判をスーパーイコンタ53*、連動距離計付き6×6cm判をスーパーイコンタ53*/16、連動距離計付き6×9cm判をスーパーイコンタ53*/2と称し、改良に従って*の数が0(戦前前期)、1(戦前後期)、2(戦後)と増えて行く。6×4.5cm判をイコンタA、6×6cm判をイコンタB、6×9cm判をイコンタC、連動距離計付き6×4.5cm判をスーパーセミイコンタA、連動距離計付き6×6cm判をスーパーイコンタB、連動距離計付き6×9cm判をスーパーイコンタCと称する。イコンタDは616フィルムを使用し6.5×11cm判である。画面の広さに対して軽量で作りも良い。当時日本では特に人気が高く、コピー商品も6×4.5cm判ばかりとなり、後にこれが日本製スプリングカメラの特質として挙げられる程であった。距離計で測定した距離をレンズ前玉の距離目盛に移してピント合わせをする。中枠を取り付けることにより6×4.5cm判16枚撮りでも撮影可能。セミイコンタがアマチュアに人気が高かったのに対し、イコンタはプロカメラマンが実用機として好んで購入、この状況は1970年代後半まで続いた。距離計で測定した距離をレンズ前玉の距離目盛に移してピント合わせをする。3×4cm判。当時のドイツにおける3×4cm判流行の中心的存在となった。5×7.5cm判。24×36mm(ライカ)判。6.5×11cm判。現行当時日本には輸入されなかったため日本でもアメリカ式の呼称で流通していることが多い。フィルムが供給されなくなってからも白籏史朗は改造して使用していた。また大柄で迫力があるため収集対象になった。
出典:wikipedia
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