[[ファイル:Tessar.png|thumb|テッサー]]テッサー("Tessar" )は[[カール・ツァイス]]が製品化した単焦点[[写真レンズ]]、およびその構造の名称である。カール・ツァイスを代表する名玉の一つ。[[ファイル:Tessar 135.jpg|thumb|200px|手札判用の13.5cmF4.5]][[1902年]]4月、[[パウル・ルドルフ]]が[[エルンスト・ヴァンデルスレプ]]の協力を得て考案した。F値は発表当時F6.3であった。ルドルフはF値の向上に否定的であったが、ヴァンデルスレプによりF4.5、[[ウィリー・ウォルター・メルテ]]によりF3.5、さらにF2.8まで大口径化された。[[カール・ツァイスのレンズ製品一覧|ツァイスの分類]]では、F6.3のテッサーがシリーズIIB、製版用のアポテッサーはシリーズVIII、F4.5やF3.5の大口径テッサーはシリーズICとされた。3群4枚、[[ウナー]]の前群と[[プロター (レンズ)|プロター]]の後群を合わせた構成、とされているが、3群3枚凸凹凸のトリプレットを発展させ後玉を凹凸2枚の貼り合わせレンズとしたもの、とも見ることができる。特許上は2群と3群の間に絞りがある。多くのバリエーションがあるが標準的な設計では前玉から順にSK4、FL4、KzF2、SK10。カール・ツァイスは「あなたのカメラの鷲の目」("Das Adlerauge Ihrer Kamera" )というコピーで宣伝し、実際世界中の写真家からそう呼ばれるようになったようにそのシャープさがこのレンズの特徴であり、このレンズの登場によって多くの人々が「普通によく写る」レンズを手に入れたと言われる。もっとも当時のテッサーは高級レンズであり、本当の意味で多くの人々がこの「普通によく写る」レンズを手にしたのはテッサー構成のレンズが普及品となった20世紀半ば以降であり、テッサーの発明から実に50年ほどを要した。他のレンズメーカーにも多大な影響を与え、コピーや類似したレンズが数多く造られた。名称は構成レンズ数が4枚であることから[[ギリシア語]]の4("Tetra" )から来ている。1群と2群の間に絞りがあるものをエルンスト・ライツ(現[[ライカ]])のエルマーにちなんで「エルマー型」と区別することもあるが、エルマー銘でも2群と3群の間に絞りがあるものもあり、厳密にこだわるほどのものでもない。[[1903年]][[アメリカ合衆国]]の[[ボシュロム]]がパテントを購入しアメリカで製造を開始、未だコダックにレンズ製造部門がない時代でありアメリカカメラ界に貢献した。他にイギリスの[[ロッス]]、フランスの[[エ・クラウス]]でもライセンス生産されている。特にクラウステッサーのみは「クラウス・ツァイス・テッサー」とツァイスの銘も入れられ、一時フランス製高級カメラのほとんどに装着されていた。戦後は東西両方のツァイスで製造された。当初西側ではカール・ツァイスの子会社「ツァイス・オプトン」にて生産されたが当時の世評は低かった。しかし現代において実際に撮影に供した人からは特に不評を聞かない。「カール・ツァイス」銘に戻ってからは再び高い評価を受けている。明るい大型レンズが普通になった現在でもその単純な構成からコンパクトなレンズとして使われ、スナップ重視のユーザーの支持は厚く、製品一覧に掲げた以外にも[[コンパクトカメラ]]等多機種多[[レンズマウント|マウント]]で使用されている。[[1919年]]に[[ウィリー・ウォルター・メルテ]]がテレテッサー("Tele-Tessar" )を開発し、その後望遠レンズの多くにもこの名称が使用された。また色収差補正をアポクロマートにしたものはテレアポテッサー("Tele-Apo-Tessar" )の名称を使用する。またメルテは明るく生物の撮影にも適するビオテッサー("Bio-Tessar" )を1925年に開発している。これらは本来の3群4枚構成からは逸脱することもある。レンズの構成枚数が少なくレンズエレメントの空間が比較的長いので軽量コンパクトになる。ズーム・レンズでコンパクトな製品には[[バリオテッサー]]銘をつけるようになっている。アルファ、ベータ、プリマを除いたシリーズ全てがテッサーを固定装着する。フランケ&ハイデッケ(現[[ローライ]])が発売したステレオカメラ。日本で[[ロジクール]]として知られる米国企業であり、日本の[[ロジテック]]とは無関係。[[ファイル:Tessar35.jpg|thumb|right|200px|テッサー3.5cmF3.5]]フランケ&ハイデッケ(現[[ローライ]])が発売したステレオカメラ。ローライフレックス・シリーズの代表的レンズの一つ。[[プラナー]]が出てからは普及版のローライフレックスTに装着された。ローライマジックシリーズも装着する。当初はローライ35シリーズの看板レンズであり、ゾナー40mmF2.8を装着したローライ35Sが出てからも普及版のローライ35T、ローライ35TEとなって継続販売された。ツァイス・アナスチグマットとしてはシリーズIIBの扱いであったので初期の製品にはBの文字が残って「Bテッサー」と俗称され。F4.5やF3.5に大口径化された製品はシリーズICで「Cテッサー」と俗称された。製版用のプロセスレンズとして開発されたアポクロマティックテッサーはシリーズVIII。いわゆる「Bテッサー」で解像力が鋭く包括角度も広いなど非常に優秀なことで知られる。いわゆる「Cテッサー」で、「Bテッサー」と比較すると明るいため高速シャッターが切れる。製版用プロセスレンズとして開発された、[[アポクロマート]]補正をなされたレンズで、ニコンのアポニッコールと双璧をなす。オプションの特殊形状の絞りやシート・フィルターを差し込むための[[絞り (光学)#ウォーターハウス型絞り|ウォーターハウス型絞り]]スロットが全品種に備わる。絞りは多数枚あり、完全円形絞り。同名製品でも製造年代により硝材がかなり異なり、初期製品は第一群の最前面のレンズがとても曇りやすく磨いても3日で曇りだしてくるが、中期以降の製品ではそのようなことはなくなった。製版用に開発されたレンズのため、設計基準倍率は等倍(1:1)なので一般マクロレンズとしての利用でも高性能である。カラー製版を考慮して設計されているので、初期製品からすでにカラーバランスが最適化されている。一般的にアルファベット文化圏の製版レンズは解像力が低くなりがちだが、アポテッサーは総じて高解像力である。カール・ツァイス・イェーナ製。接写用に開発された物や産業用のレンズなどであり、フィルム使用の複写用、マイクロフィルム製作用、通常の接写用、画像投影用などの品目がある。ドイツが東西に分かれている時に、東ドイツのカール・ツアイス・イエーナで製造された物と、西側のオーバーコッヘンにて制作された物がある。 S-テッサー の「S」はドイツ語の「Sonder」(英:"Special" )に由来する。民生用の物は後にレンズ・コーティング技術の向上により、大口径化のしやすいS-[[プラナー]]後のマクロ[[プラナー]]に置き換えられていった。[[Category:カール・ツァイスの写真レンズ]][[Category:カメラ製品の一覧]]
出典:wikipedia
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