アヌスミラビリス (") とはフランス生産の競走馬である。調教国は初めがイギリス、次いでUAEのドバイに転厩した。二度来日し、1996年の毎日王冠で優勝している。馬名はラテン語で「驚異の年」を意味する。1994年9月にイギリスでデビュー。デビュー以来6着以下なしと堅実であった反面なかなか勝ち切れない馬で、G1でも幾度か2着、3着としていたものの、重賞を勝ったのはようやく4歳の夏になってから、ウインターヒルステークスというG3での事だった。秋になり初重賞制覇の勢いを駆って来日。この年国際競走となったばかりの毎日王冠に出走した。しかしG3を1勝だけという実績に対する評価は12頭立ての6番人気と、この頃の外国馬に対する評価としては低いもので、むしろその実力よりも馬名の方が話題になるといった次第であった。しかしレースでは先行策から直線に向いて抜け出すと、そのまま2着トーヨーリファールに1馬身半差を付けて優勝し、ヨーロッパのG1で好走していた実力を遺憾なく見せた。この時の3着馬バブルガムフェローが、続く天皇賞・秋の勝ち馬となっている。高額賞金を手に入れ地元に戻ったアヌスミラビリスは休養に入り、翌年は香港のクイーンエリザベス2世カップから始動。これを3着とした後、一般戦、ウインターヒルステークス2連覇と連勝し、その後はアメリカのマンノウォーステークスへ、その後再び香港に舞い戻り香港国際カップに出走し、それぞれ5、7着となった。現役最後の年となった1998年はドバイを主戦場に走り、当時まだグレード外だったドバイデューティーフリーに勝利。続くイタリアで共和国大統領賞を2着した後、再来日。鳴尾記念に出走した。今回はエアグルーヴに続く2番人気に推され、3着となった。その後イギリスでウインターヒルステークス3連覇を果たした後、2戦を消化して引退した。世界中を転戦し、全30戦のうち走った国は9カ国、競馬場は18場に上った。引退後は日本のレックススタッドで種牡馬入りが決まり、1999年10月12日、北海道胆振動物検疫所に到着した。しかしアヌスミラビリスは到着時、長距離輸送の疲れのために高熱を出しており、即時の治療が必要な状態にあった。しかし検疫所は抗生物質等の投与により、伝染病の発現が抑えられる恐れがある事を理由に関係者からの治療要求を拒否。アヌスミラビリスは結局なんの治療も施されないまま3週間を検疫所で過ごし、検疫の明けた11月2日、すぐさま社台クリニックに運ばれ治療が試みられたが時すでに遅く、2日後の11月4日に死亡した。この事実はメディアなどではあまり大きく扱われず、アヌスミラビリスという馬の存在自体もひっそりと忘れ去られていくことになったが、馬産地を中心に精力的な取材を行っている競馬ライターの後藤正俊はコラムの中でこの事件を取り上げ、「あまりにもお役所仕事的な対応。病気を持ち込ませないことも大事だが、その馬の命も大事。なぜ両立させる方法を考えないのか」と批判した。父は同馬の項を参照のこと。母はイギリスで走り2勝。祖母Anna Paolaはドイツのオークスにあたるディアナ賞(G2)等に優勝している。日本にも、アナスミラビリスという上記の馬と英語表記では同一の競走馬が存在した(牝、1991年生、父リアルシャダイ、中央競馬1勝)。この馬は、関東オークスなどを制したトーセンジョウオーの母であり、桜花賞2着のブルーリッジリバーの姉である。
出典:wikipedia
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