千種家(ちぐさけ)は、羽林家の家格を有する公家。村上源氏久我流岩倉家庶流。堂上源氏十家の一つ。久我晴通の孫で、岩倉具尭の四男有能を家祖とする。家名は、南北朝時代に六条家から分家した千種忠顕に因むか(別系を参照のこと)。家業は有職故実・和歌。一条家の家礼。家禄は本家岩倉家と同じ150石。内々。菩提所は黒谷上雲院。家祖有能の従姉・久我俊子(名は岡、のち新大納言局)は初め六条有広に嫁し、早世した実子有清の嗣として有能を六条家に迎えようとしたが、これが叶わなかったため、有広と離別した俊子が東福門院に願い出たところ、女院の執奏に基づき、有能は久我通前の猶子として新家を創設した。有能は正二位・権大納言に昇り、以後はこれを先途とする。有能・有維・有政は議奏や武家伝奏を務め、朝廷の重職を担った。有功は書画に堪能で、堂上歌壇における新風の歌人としても有名である。幕末の有文は公武合体派の公家として和宮降嫁の実現に尽力したため、尊皇攘夷派に弾劾されて文久2年(1862年)に辞官・落飾したが、王政復古の際に赦免されて還俗し、明治新政府に出仕している。その子有任は維新前後に活躍し、その女任子は明治天皇に仕えて二皇女を生んだ。明治17年(1884年)有任が子爵を授けられる。村上源氏久我流六条家庶流。六条有忠の子忠顕を家祖とする。北勢四十八家の首班千種氏はこの末裔と伝えられるが、系譜は定かでない。
出典:wikipedia
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