劉 元(りゅう げん)は、荊州南陽郡蔡陽県(湖北省棗陽市)の人。後漢初代皇帝光武帝(劉秀)の姉。後漢草創期の功臣鄧晨の妻。父は劉欽。母は樊嫺都。姉は劉黄。弟は劉縯、劉仲、劉秀。妹は劉伯姫。1男(鄧汎)3女の母。死後、新野節義長公主の位を追贈されている。地皇3年(22年)、弟の劉縯、劉秀らが反新の挙兵を行ったが、同年末の小長安聚(南陽郡育陽県)の戦いで、劉縯らの軍は新の前隊大夫(新制の南陽太守)甄阜、属正(新制の都尉)梁丘賜に大敗した。この時、敗走する劉秀は、途中で伯姫を救出し、これも馬に乗せて逃走する。さらに2人は、姉の劉元とその3人の娘を見つけだし、これも救おうとした。しかし劉元は、自分たちが足手纏いになると判断し、救助を謝絶して劉秀と伯姫にそのまま逃げるよう告げる。こうして劉秀と伯姫は死地を逃れたが、劉元と3人の娘は新軍の手にかかって落命してしまった。また、弟の劉仲も、この時に戦死している。建武1年(25年)6月、劉秀が光武帝として即位すると、鄧晨は房子侯に封じられた。この時、亡き妻の劉元も、新野節義長公主の位を追贈され、新野の西に廟が立てられている。そして、鄧晨と劉元の間に生まれた息子鄧汎も呉房侯に封じられ、劉元の祭祀を司ることになった。
出典:wikipedia
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