丸谷 拓也(まるたに たくや、1989年5月30日 - )は、日本のプロサッカー選手。鳥取県西伯郡南部町(旧西伯町)出身。ポジションはMF。鳥取県立境高等学校卒業。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。兄の影響で小学2年生からサッカーを始める。小学校時代に全国大会に出場するなど、小さいころから地元鳥取では有名な選手であったが、高校2年まで全国的には無名な存在だった。西伯町立法勝寺中学校では鳥取教員団などで活躍した伊豆賀憲一が監督を務めていた1年時のみ選手登録しており、県中学校総合体育大会でベスト4に進出している。高校は鳥取県立境高等学校に入学、一つ後輩に住田貴彦・重成俊弥。主にトップ下、ボランチでプレー、中心選手として活躍。高校2年次の2006年および3年次の2007年と2年連続で高校選手権に出場。ただし07年12月に右足甲を骨折したため、同年の高校選手権では試合に出ていない。高校3年次の2007年、U-18日本代表に選ばれフォワードとしてプレーした。2008年、サンフレッチェ広島とプロ契約。同期は内田健太、篠原聖、横竹翔、清水航平。1年目は怪我による出遅れもありトップチームには絡めず、サテライトではFWだけではなくトップ下やボランチとしてプレーした。翌2009年6月、FWとしてナビスコカップでプロデビュー、同年7月にはリーグ戦デビューを果たした。2010年より、本格的にボランチへ転向。主力選手が負傷離脱する中で、若手が起用されたAFCチャンピオンズリーグの消化試合で好プレーを見せたのをきっかけにリーグ戦でも先発起用されるようになり、怪我人の復帰後もシーズン終了までコンスタントにベンチ入り、16試合に出場した。同年途中にプロA契約に移行。ただ、2012年森保一に監督が代わると、出場機会が与えられず ベンチ入りすらままならなかった。2012年8月、大分トリニータへ期限付き移籍。ボランチとして守備強化を期待され、主力として活躍。同年末のJ1昇格プレーオフにも2試合出場し、大分のJ1昇格に貢献した。翌2013年も期限付き移籍を延長し大分に在籍、同年5月YNC予選第7節サガン鳥栖戦では公式戦初のハットトリックを達成し、チームの公式戦2連勝の立役者となった。2014年、広島に復帰。2016年、第17節のヴァンフォーレ甲府戦で青山の負傷に変わって、3-1-4-2のアンカーに入り存在感を見せた。鳥取県出身では塚野真樹以来2人目、高卒としては初のプロサッカー選手。現在の主ポジションはボランチだが、攻撃的なポジションやCBなど様々なポジションを経験している。ユース時代プロ時代47||1||13||4||7||0||67||514||0||colspan="2"|-||1||2||15||261||1||13||4||8||2||82||7!通算!!colspan="2"|AFC
出典:wikipedia
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