円本(えんぽん)とは、1926年(大正15年)末から改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各出版社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称。庶民の読書欲にこたえ、日本の出版能力を整え、また、執筆者たちをうるおした。関東大震災は出版業界にも深い傷を残し、その傷の中で倒産寸前だった改造社の社長山本実彦が、1926年(大正15年)11月、一冊一円、薄利多売、全巻予約制、月一冊配本の『現代日本文学全集』の刊行に社運を賭け、翌月『尾崎紅葉集』を配本した。自己資金を持たぬ自転車操業的企画だったが、期待を遙かに上回る23万の応募者の予約金23万円が出版資金になり、がぜん頽勢を挽回した。『円本』の呼び名は出版社側の命名でなく、たまたま、1925年大阪、1927年東京に登場した市内1円均一の『円タク』から、派生したと言われる。1円は当時、大学出の初任給の約2%に相当した。それを廉価とうたえたほどに、それまでの本は高価だった。1927年(昭和2年)前後から月に一冊ずつ配本して、1930年(昭和5年)過ぎに円本ブームは鎮静化した。解約者も出て売れ残りが投げ売りされ、余裕のない階層も『円』本を買えるようになった。各出版社が出版した、おもな『円本』全集を列記する。右端の万の数字は、大約の発行点数である。価格の例外は、一冊50銭の『日本児童文庫』と35銭の『小学生全集』とであった。似た趣向の、例えば、『現代日本文学全集』と『明治大正文学全集』、『日本児童文庫』と『小学生全集』の宣伝合戦は、泥仕合的に激しかった。上の列記のほか、経済学全集(改造社)、現代法学全集(日本評論社)、漱石全集普及版(岩波書店)、石川啄木全集(改造社)、蘆花全集(新潮社)、菊池寛全集(平凡社)、日本地理大系(改造社)なども、この時期に刊行され、総発行点数は300万以上と推定されている。1927年(昭和2年)の岩波文庫の発売が円本に触発されたことは、同文庫巻末の岩波茂雄名の『読書子に寄す』に、明らかである。昭和初期に文字を覚えた年代、従ってのちに十五年戦争に巻き込まれた年代の日本人の大勢は、円本と文庫本とにより、内外の文芸・芸術・文物に親しんだ。出版業界に製本から販売までの、マスプロ体制が確立された。1927年(昭和2年)の末ころから、印税で『円本成金』になった文士たちが、相次いで海外旅行に出掛けた。円本に押されて、雑誌・単行本の発行部数が一時的に減った。
出典:wikipedia
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