きのした ゆうこ(6月6日 - )は、日本の女性声優、女優、ナレーター、ニュースキャスター、スポーツキャスター、ラジオパーソナリティ、DJ、バラエティー番組・イベント・式典司会者、関西弁(特に河内弁)方言指導、コラムニスト、エッセイスト、スポーツライター、など、多方面で活動するマルチタレント、CD-ROM製作ディレクター。大阪府出身。最終学歴は甲南大学法学部卒業。大学時代に日本テレビ系列(全国ネット)の深夜番組『11PM』のレギュラー出演者になったことが、芸能界で仕事を始める切っ掛けとなる。『11PM』の歴史において、唯一の「学生レギュラー出演者」 である。番組内において天皇扱いの藤本義一に対し、言いたい放題に自由奔放な質問を投げかけて翻弄するという、変わった女子大生の役どころを演じていたが、本人は、この時のことを「税金も収めていない学生の分際で、ギャラを貰って公共の電波を私物化し、好き勝手な事をほざいていただけの、自分の人生の中で最もバブリーで、最も無責任な時代であった」と、後年、自身のラジオ番組『ラジオ・マガジン』で、自虐的に回顧している。卒業論文「少年法における未成年加害者の匿名報道と、被害者の実名報道に関する一考察」(本人のfacebookのプロフィール https://www.facebook.com/yuko.kinosita.9/info より。)を、藤本義一に読んで貰ったところ、「大学生が書いた文章とは思えないほど、大変説得力があって驚いた。凄く良く書けている。君はしゃべる仕事より、書く仕事の方が向いてるんじゃないのかな。今からだと、まず毎日、日記を書くといいんだ。そうすると少しずつ文章の構築能力が磨かれていくんだなぁ。」という言葉をもらった。「今から考えると、子供の作文に毛の生えたレベルの卒論を直木賞作家に無理やり読ませ、無理やり批評させたのだから、身の程知らずも甚だしい。このような恐れ多い行為を平気で行ったのだから『若い』と言うのは実に怖ろしい事である。」と『ラジオ・マガジン』で、これも又、自虐ネタとして語っている。また、NHK連続テレビ小説第33作である『心はいつもラムネ色』のヒロイン役オーディションに最後まで残り「中山(赤津)賀津」役を藤谷美和子と争ったが、カメラ・テストで敗れるという苦い経験を「自分の人生における最大の敗北」と語っている。しかし500人のオーディションの中から大抜擢された『11PM』への出演を切っ掛けに、女子大生タレント・ブームの波に乗り、ワイドショーの司会やリポーター、ナレーターとして活躍。大学卒業後は、一転して、NHK総合放送(全国ネット)、関西テレビなどで「ニュース&スポーツ」の硬派ニュース・キャスターとして活動。当時、「ベルリンの壁崩壊」を、時差の関係から朝一番に日本国内のTV放送で最も早く報道したニュース・キャスターでもある。後に自身のラジオ番組『ラジオ・マガジン』で、「『ベルリンの壁崩壊』という歴史的な国際ニュースを、日本で最も早く伝えられたことには、報道に携わる者として最高の興奮を覚えた。」と、その時の気持ちを語っている。また、それまではプロ野球など何の興味もなく、高校野球以外は野球場で試合を観戦したことすら一度もなかったにも関わらず、スポーツ・コーナーも担当することになったため、家からバイクで15分の距離にあった「大阪近鉄バファローズ」のホーム・グラウンド「藤井寺球場」に、暇さえあれば出かけて試合を観戦し、スコア・ブックを付けられる迄になった。特に、その年に入団した大物ルーキー野茂英雄のフォークは、「素人目にも落ちるのがハッキリ分かるため、様々な球種を見分ける勉強になった」とのこと。野茂を始めとするバファローズの選手などを取材している内に、「選手のみならず、監督、コーチ等の首脳陣、球団職員の態度が、セ・リーグに比べ、非常にフレンドリーで親切であったため、自らも大阪近鉄バファローズ&パ・リーグのファンになった。」と語っている。また、「いつもバイクのヘルメットをぶら下げてベンチに来るので、元・近鉄バファローズの伝説のスラッガーであった、ラルフ・ブライアント氏がそれを見る度にステッペンウルフの「Born To Be Wild」を歌い、からかわれていた」そうである。また、この時期、「パ・リーグ」「近鉄バフッローズ」「野茂英雄」「ラルフ・ブライアント」「仰木彬」といった、プロ野球に関するエッセイやコラムを多数執筆している。しかし、その後、日本のプロ野球界が野茂を事実上、追放した事への憤りと、「大阪近鉄バファローズ」という球団そのものの消滅と共に「私の心の中で日本のプロ野球は終わった。『近鉄バファローズ』以外に私の愛せる球団は存在しない。」と、mixi日記で、日本のプロ野球界への憤懣と別離を告げている。なお、元大阪近鉄バファローズの選手であるラルフ・ブライアントとは、近年、facebookのオン・ライン上で再会し旧交を温めている(本人とブライアントのfacebookのタイム・ラインより)。ナレーターとしては、NHK総合での夕方6時のニュース番組担当時代に、当時NHKアナウンサーであった宮本隆治(現在はNHK退職後、フリー)から声が枯れるほどのナレーションの猛特訓を受け、1999年7月に、株式会社アクセント主催のナレーション・コンテストで、応募者561名の中から唯一人、銅賞を受賞(金賞、銀賞は該当者なし)。その受賞が自信となり、ナレーションにも仕事の領域を広げ、ナレーション技術を高めるために矢島正明から朗読の指導を受け始める。その朗読に不思議な魅力を感じた矢島の勧めで「ナレーション」のみならず「声優」の仕事にも活動範囲を広げ、81プロデュース所属声優となる。関西弁(特に河内弁)のキャラが多く、好評であり、関西弁の方言指導も行う。矢島正明が唱える「ドラマティック・リーディング」という朗読手法を学び、矢島本人の演出で、既存の朗読会とは全く違う、一人芝居と朗読を融合した異色の「一人語り」の舞台公演を度々行っている。趣味は「マリン・スポーツ」で、中でもスキューバ・ダイビング(PADIダイブ・マスター免許所持)と、水上オートバイ(四級小型船舶操縦士免許所持)を好んでいる。高校3年生の時、ダイビングとジェット・スキーの免許を取得するため、副賞が沖縄旅行であった、FM大阪主催の「ミスFM大阪」に出場。優勝して「ミスFM大阪」に選ばれ、高校卒業後の春休みにその副賞で沖縄へ行き、賞金で念願のスキューバ・ダイビングのライセンスと四級小型船舶操縦士免許を取得したという。その他の趣味は「国会中継観賞」。好きな作家は村上春樹。好きな俳優は、真田広之、北大路欣也、緒形拳、藤田まこと、18代目中村勘三郎。好きなミュージシャンは忌野清志郎(RCサクセション)、桑田佳祐、サザンオールスターズ、吉田拓郎、中島みゆき。「仕事で清志郎に初めて会った時の嬉しさは、言葉では表すことが出来ない程だった」とのこと。青山で執り行われた忌野清志郎のロック葬にも列席したが、「竹中直人の超ハイ・テェンション、かつ、自己陶酔型の弔辞により、葬儀場内は完全に白け切った。」と、自身のmixi日記で嘆いている。また、「ビートルズには追いつけなかったが、忌野清志郎には間に合った。それだけでも、私は充分、幸福である。」「清志郎の死を認めるのに、3年の月日を費やした」とも書いている。スポーツ観戦では、フィギュアスケート、テニス、大相撲、等が好きとのこと。2005年 2006年2007年2006年
出典:wikipedia
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