ロンスパークは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は1986年の鳴尾記念。競走馬引退後は東京競馬場で誘導馬を務めた。中央競馬で競走生活を送る。1984年の8月にデビューしたが、もともとそう期待されていた馬ではなく、善戦を続けてはいたものの初勝利までには7戦を要した。しかし初勝利後に迎えたオープン戦ひいらぎ賞ではのちの天皇賞馬クシロキングの3着と気を吐き、続いて自己条件に戻った若竹賞を好時計で勝利し、クラシックへの期待が寄せられた。しかし2番人気に推された共同通信杯4歳ステークスで6着に敗れると、以後クラシック戦線では良い所のない大敗を続け、以後4歳の間に勝ち星を挙げることはなかった。古馬になったロンスパークは900万下条件馬に降格していたが、緒戦に格上挑戦となるダイヤモンドステークスを選択し、これを2着と健闘する。続けて挑んだ目黒記念も勝ったビンゴチムールからクビ差の2着となり、賞金を加算してオープンに定着。2番人気で迎えたGII鳴尾記念を勝利し、重賞勝ち馬の仲間入りを果たした。しかし以後勝利はなく、5歳秋には球節炎を発症し長期休養を余儀なくされた。復帰後の6歳の秋に準オープン戦で10着と敗れた後、再び故障を発生して約1年の休養を過ごしたが再復帰の目途が立たず、7歳の9月に引退した。競走馬引退後は乗馬になるために去勢されたが、元来が非常に穏和な気性であり、筋肉質で馬格もよく、たてがみ、尻尾は鮮やかな白色と非常に見栄えが良かったことから、ぜひ誘導馬にと日本中央競馬会から要請があり、馬主からの寄贈という形で東京競馬場で誘導馬となった。その期待に応えて誘導馬としての適性を大いに発揮し、通常2年ほどかかる誘導馬への訓練を1年で通過。ともすれば歓声などに興奮してしまう馬も存在するなか、大観衆の前でも平静を保ちながら先導役を務める落ち着いた様子と、白毛馬のような美しい姿が相俟って競走馬時代を遙かに凌ぐ人気を獲得し、メジロファントム、トウショウファルコとともに東京競馬場の名物誘導馬の一頭となった。しかし1992年ごろになって内股に腫瘍が発生し、ロンスパークは誘導馬の引退を余儀なくされた。いちどは復帰を目指して治療が行われ、4度に渡る手術が行われたが回復には至らず、1994年秋に死亡した。東京競馬場脇の馬頭観音にたてがみが納められている。
出典:wikipedia
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