大山 綱毅(おおやま つなたけ、? - 天保5年8月20日(1834年9月22日))は、江戸時代後期の薩摩藩の鹿児島城下士。本姓佐々木源氏大山氏。大山綱昌の養父で、その妻競子の実父。諱は綱毅。通称は彦八。江戸芝 (現在の東京都)の薩摩藩邸御広敷御用人。島津斉宣、島津斉興時代の側用人である大山綱道の次男。兄は大山綱方。家格は初め御小姓与のち一代小番。菩提寺は芝の泉谷山大円寺。戒名は源正院道良順居士。大山巌の実祖父であるが、「元帥公爵 大山巌」でも死去以前については詳しいエピソードがでない。また、幕末に江戸芝藩邸が焼き討ちされたときに江戸での薩摩藩の公文書が焼けているので、公の資料では江戸での仕事の詳細については分からない。綱毅は、死去時には御広敷御用人であった。この職は藩内の席次は22番目であり、父が側用人になる前の職小納戸頭取より一つ下の席次であった。また、この職は小納戸頭取や側用人同様に直触であったので、死去当時の綱毅の家格は一代小番であった。綱毅の妻子については、競子以外は現在、不明。
出典:wikipedia
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