マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull 1946年12月29日-)はイギリス生まれの歌手・女優である。イギリス・ロンドン生まれ。父親は大学教授、母親はオーストリアの名門貴族の家系出身で、先祖がハプスブルグ家やレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホの血筋を引いている(マリアンヌの母方の曾祖父母の兄弟がレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ)。2009年、BBCのインタビューに於いて、従兄弟の死によってザッヘル=マゾッホ男爵家の家督を相続したと明らかにしている。しかし家庭がそれほど裕福だったわけではなく、幼いころに両親が離婚しマリアンヌは修道院で育つ事になる。そして、17歳の時にジョン・ダンバーと結婚するが、ダンバーとローリング・ストーンズの当時のマネージャーアンドリュー・ルーグ・オールダムがちょうど知り合いであったがため、パーティに出席したのをきっかけに芸能界に入り、彼女のために用意された曲は「As Tears Go By(邦題:涙あふれて)」で、1964年にデビューする事になる。その後ポップ・アイドルとしての地位を確立し、その清らかな歌声とロリータ的な美貌で人気を博す。さらにジャン=リュック・ゴダールに見出され映画デビューも果たす。その後ダンバーと離婚し、本格的にストーンズのミック・ジャガーの恋人になる。清楚なルックスと歌声で映画界からも声がかかり、ゴダール以外にも、アンナ・カリーナとセルジュ・ゲンズブールが主演のTV映画『アンナ』にも出演し、そこではディスコで歌うだけのシーンであったが、さらに大物俳優のアラン・ドロン主演の映画『あの胸にもういちど』という作品でヒロインに抜擢。ドロンと不倫に身を投じる女性を演じた。『あの胸にもういちど』には、ヒロインが全裸に皮のライダースーツでバイクに乗るシーンがあり、そのことから峰不二子のモデルになったと言われている(「ルパン三世 ルパンVS複製人間」などで同様のシーンが見られる)。1960年代後半、全裸でオーバードースになって倒れているところを警察に見つかり、さらに全裸写真が新聞にまで載るなど芸能界を揺るがすスキャンダルに巻き込まれた。この影響で当時は『地に堕ちた天使』『天使の顔をした娼婦』と言われていた。そのせいでブラックリストに名前が載り、それまでの可憐で清純だったイメージを捨てざるをえなくなり、この事件でマリアンヌのアイドル生命は終わったとされる。ミック・ジャガーと付き合っていたが、騒動でさらに追い詰められ、流産と精神不安定から自殺未遂も繰り返したという。あまりにドラッグに手を出すマリアンヌを見かねたミックは止めさせようとするがうまくいかず、結局二人は1970年に破局。破局後は男性不信に陥り女性のパートナーも作っていたという。アルコール中毒にもなったりと1960年代末期から1970年代半ばまでがまさに人生で一番地獄を見た時期と言えよう。近年はこのマーズ・バースキャンダルがでっち上げであったという事が言われている。デビューから3年間はエンジェル・ボイス、清純で清らかな歌声等言われてきたが、最初の声質の変化は67年の終わり頃からで、1968年の「サムシング・ベター」では歌唱法を変えているが、決定的に今のしゃがれたボイスが出来上がるきっかけになったのは、1969年の「シスター・モルヒネ」で、もうかつての綺麗な歌声の片鱗すらなく、長い低迷期から復活した1970年代後期の頃にはほぼ現在の歌声に近くなっていた。折しもパンクミュージック全盛期の後半であり、新生マリアンヌの声とマッチしたものであった。その後増々ドスの効いたしゃがれ声に磨きがかかり、近年では貫禄も増している。綺麗な声を潰した原因はマリアンヌの転落のきっかけであった流産とミックとの破局、その後クスリ、自殺未遂、アル中とタバコで現在の声を作り上げたという。イメージもかつての可憐さをかなぐり捨てた。1979年にはアイルランドレーベルからアルバム「ブロークン・イングリッシュ」をリリースし、歌手として第一線に復活。アルバム制作に平行して、ライブ活動も精力的に行う。女優としても2006年に映画「マリー・アントワネット」でマリア・テレジアとして出演。2007年には61歳で映画「やわらかい手」の主役、マギーを演じた。
出典:wikipedia
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