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横道秀綱

横道 秀綱(よこじ/よこみち ひでつな、生年不詳 - 元亀元年(1570年)2月)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。尼子氏の家臣。通称は兵庫助(ひょうごのすけ)。政光・正光とも表記する。尼子十勇士の一人とされる。出雲国の戦国大名・尼子氏の宿老・横道清高(助四郎、兵庫介、備前守、石見守)の子として誕生。弟に横道高光(源助)と横道高宗(権允)がおり、秀綱も合わせて「横道兄弟」として軍記物などに登場することも多い。横道氏は、石見国邇摩郡大家庄西郷横道村が発祥とされる。永禄9年(1566年)、毛利氏によって月山富田城落城し戦国大名としての尼子氏が滅ぶと、降伏して安芸国に送られる主君・尼子義久に随行しようとしたが毛利氏に認められず、弟たちとともに大和国の松永久秀の下に身を寄せた。やがて久秀の下を去り、山中幸盛らとともに尼子勝久を擁立。織田信長の援助を受けながら主家再興につとめた。一時は城を得て尼子氏を再興するが、永禄13年(元亀元年・1570年)に出雲国布部山城にて尼子軍6,000余と毛利軍10,000余が激突。このとき秀綱は、毛利方に寝返った姪婿・中井善左衛門に討たれた。

出典:wikipedia

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