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シーギリヤ

シーギリヤ(, , )は、スリランカの中部州のマータレーにある遺跡である。シギリヤとも。シーギリヤの遺跡は、5世紀に(在位477〜495年)によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる。岩山の中腹には『シーギリヤ・レディ』として知られるフレスコの女性像が描かれている。当初は500体ともいわれたが、風化が進み現在は18体だけが残る。シーギリヤロックは火道内のマグマが硬化して出来た岩頸で、形状は楕円柱、標高約370m、岩頸そのものの高さは約195m、全方位が切り立った崖になっている。シンハラ王朝の5世紀、王の息子カッサパ1世は、王の甥であり軍司令官でもあったミガラの支援を得てクーデターを起こし、477年には父親から王権を奪取する。しかし平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナに王位を奪還される事を恐れ、長らく首都であったアヌラーダプラを離れ、より安全なシーギリヤへと遷都した。カッサパが在位にあった477年から495年の間、シーギリヤは複雑な市街と防衛機能を併せ持つ都として発展し、即位から7年後にはシーギリヤロックの頂上に王宮が完成する。一方、兄カッサパからの難を逃れていたモッガラーナは、亡命先の南インドから軍隊を引き連れ兄に戦いを仕掛ける。当初はカッサパ王が優勢であったものの後に劣勢に転じ、観念した王は喉を掻き切り自害、495年、シーギリヤは陥落する。王位についたモッガラーナはシーギリヤを仏教僧に寄進し、再び都をアヌラーダプラへと移した。シーギリヤは13世紀から14世紀頃まで修道院として存続するが、徐々に衰退。その後は16世紀から17世紀にキャンディ王国がこの地を分営として利用するまでの間、記録は残されておらず、また同王国の衰退の後にも再び放棄された。建設から1400年の後、イギリス統治下の1875年に、イギリス人によって岩山に描かれたフレスコ画である"シーギリヤ・レディ"が発見された。古都シーギリヤは、1982年、世界遺産(文化遺産)に登録された。入場料は、スリランカ国民50スリランカ・ルピー、外国人3,900スリランカ・ルピーとあまりの価格差別で外国人観光客の顰蹙を買っている。なお、居住ビザを持つ外国人でも一旦3,900スリランカ・ルピーを支払い、書類とチケット半券をコロンボの本部事務所まで持っていけば、入場料の一部還付を受けられる。

出典:wikipedia

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