フィアット・125("Fiat 125" )は イタリアの自動車メーカー・ フィアット が1967年から72年まで生産した小型ファミリーカーである。ベースとなったのは前年にデビューし、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したフィアット・124 とその前身のフィアット・1300/1500で、124のホイールベースを1300/1500と同じになるよう85mm延長してそのシャシーに架装し、1,608ccまで拡大した124スポルトのDOHCエンジンを搭載した言わば新旧ハイブリッド車であった。外観的には角型4灯ヘッドライトが特徴的であった。このような成り立ちにもかかわらず、DOHCエンジンによる優れた動力性能、当時としては進歩的であった4輪ディスクブレーキ、124より旧式なリーフリジッドの後輪サスペンションながらバランスに優れたハンドリングが「プアマンズ・アルファ」として好評で、1972年に後継車の132にバトンタッチするまでに603,877台が生産された。その愛用者の一人にヨーロッパの著名な自動車評論家・ポール・フレールがいる。日本にも当時のディーラー・西欧自動車(西武自動車販売の前身)によって比較的多数が輸入された。125は124よりコンベンショナルな設計のシャシーが歓迎され、社会主義国や発展途上国で広くライセンス生産された。ポーランドのFSOでは「ポルスキ・フィアット 125P」としてライセンス生産され、本国になかったワゴン版も含め、1991年までにオリジナルを遥かに上回る1,445,699台が生産された。また、アルゼンチンでも「フィアット・コンコード」として1972年から1982年まで生産され、ここではワゴンのみならず850クーペに似た2ドアクーペ、ピックアップトラックなど188,971台が作られ、1978年には131に倣って「125ミラフィオリ」と改称された。他にもユーゴスラビア(ザスタバ)・コロンビアでも生産された。ただし125の魅力であるDOHCエンジンは社会主義国では用いられず、ポーランドではエンジン等の機械構造にフィアット・1300/1500で使われていた旧型の技術を流用していた。
出典:wikipedia
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