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小出城

小出城(こいでじょう)は、富山県富山市水橋小出にあった日本の城(平城)。小出神社周辺にあったとする言い伝えはあったが、長らくその正確な場所は不明だった。しかし、近年の発掘調査で神社の北側に隣接する形で堀が見つかり、その中から戦国期の特徴を持つ数々の漆器や陶磁器、下駄、薙刀の一部、木簡、曲物、鉛玉や土製の鉄砲玉などが出土し、「小出城」の遺構であることが確認された。全貌が明らかになったわけではないが、内堀と外堀を有していたと考えられ、城域は南北約200m、東西約80mと推定され、富山県下では有数の規模であったと推定されている。何らかの火災に巻き込まれた跡があるが、戦火の痕跡かは不明。その他に天正大地震の痕跡も見つかっている。平城ではあったが、『越登賀三州志』によると、西は小出川(現在の白岩川)、その他三方を沼地に囲まれた要害であった。この一帯を支配していた国人、唐人(かろうど)氏の居城であった。唐人氏はその名が示す通り大陸由来の氏族と思われる。越後長尾氏と従属関係にあった越中国松倉城主椎名長常に仕えていた式部大輔唐人兵庫によって築かれた。当時椎名氏は東へと勢力を拡大しつつあった神保長職と激しく争っており、その攻防は主に小出川を挟んで繰り広げられていた。小出城はその最前線に位置しており、椎名側にとって川を挟んで神保側の越中国鶯野城と睨み合う、防衛上重要な拠点であった。一時期揖斐庄(弓庄)助五郎という者が拠点としていたが上杉謙信に攻略され、以後は上杉方と織田信長との攻防の舞台となった(現地案内板より抜粋)。廃城年代は定かではないが、富山の役の後にはその役目を終えていたと思われる。しかし、発掘調査により江戸時代にも何らかの施設が建てられ使用されていた形跡が認められている。発掘された箇所は既に埋め戻されていて、当時の形跡はない。案内板があるだけである。

出典:wikipedia

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