民主王国(みんしゅおうこく)は、日本の国政選挙や地方選挙において民主党(現:民進党)系の候補が強い都道府県や選挙区である。かつての日本社会党や新進党の地盤(後者を新進王国(しんしんおうこく)ともいう)を引き継ぐものが多い。主に民主党の地盤が強い選挙区のことを指し、大都市圏や大企業の工場が立地する地域に多い。これは民主党の支持母体が、大企業の労組が多数加盟している連合であるからである。複数の民主党系議員を選出し続けている北海道・岩手県・福島県・東京都・新潟県・山梨県・長野県・静岡県・愛知県・三重県・滋賀県・奈良県・大分県・長崎県などは民主王国と呼ばれることが多い。三重県は名古屋に近い四日市市・桑名市・鈴鹿市・いなべ市などの北勢地域が民主王国である。北海道・岩手県・新潟県・山梨県は自民党が圧勝した2005年の第44回衆議院議員総選挙でも小選挙区で自民党を上回る議席数を獲得し、強さを発揮した。ただし、東京都は菅直人の地元である18区以外すべての小選挙区の議席を失い、愛知県・三重県・福島県・長野県では小選挙区での獲得議席数が自民党を下回った。政権与党としての初めての国政選挙である2010年の第22回参議院議員通常選挙では改選2人以上の選挙区の多くで複数候補を擁立したが、東京都と愛知県を除き軒並み1名のみの当選に留まった。2011年の第17回統一地方選挙においては、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の対応における批判や内紛もあり、全体的に苦戦した。特に三重県知事選挙では初めて民主党の擁立した候補が自民党が単独で推薦した候補に敗れており、さらに民主党の強い北部の大票田である鈴鹿市と四日市市においても得票数で負けるなど退潮の傾向を見せた。与党としての3年間の政権運営の成果が問われた2012年の第46回衆議院議員総選挙では北海道・新潟県・滋賀県・長崎県において、自民党・公明党の候補にすべての小選挙区で敗北した。福島県・東京都・長野県・愛知県・三重県でも小選挙区の議席は1議席ないし2議席にとどまった。岩手県では民主党が4選挙区中2議席を獲得し、民主党を離れた小沢一郎も議席を獲得しているがすべての選挙区で自民党候補者の復活当選を許した。三重県では民主党候補者が当選した選挙区では自民党候補者の比例復活を許す一方で、自民党候補者が当選した選挙区では民主党候補者が比例復活できなかった。2013年の第23回参議院議員通常選挙では「民主離れ」の傾向が一層鮮明になった。東京都では改選議席をすべて失い愛知県では2人擁立を断念した(それでも自民党候補に100万票当選を許している)。福島県・三重県・滋賀県・長崎県で現職が落選するなど1人区で全敗し、結党以来最低の議席数となった。2014年の第47回衆議院議員総選挙においては北海道・愛知県・新潟県・大分県においては小選挙区の議席を微増させた一方、比例での獲得議席は北海道を始めとして大きな変化は見られなかった。東京都では小選挙区での獲得議席は1議席(長妻昭の7区)と減少させさらには選挙時の代表であった海江田万里が比例復活もできず落選した。滋賀県・長崎県では前回同様小選挙区において全敗し長野県では羽田孜の地盤であった長野3区において民主党候補が維新の党の候補に議席を明け渡した上比例復活もできず落選するなど復調には至っていない。2015年の第18回統一地方選挙で愛知県議会議員選挙や名古屋市会議員選挙で議席を増やしたものの、代表となった岡田克也の地元三重県の知事選において独自候補の擁立ができず自主投票になるなど自民党系候補への不戦敗・相乗りが相次いだ。また大分市長選挙では椋野美智子を擁立したが与党が推薦した佐藤樹一郎に敗れ40年以上維持していた非自民の市長の座を明け渡すことになった。さらに同年9月に行われた山形市長選挙でも維新の党・次世代の党などを除く野党とともに元防衛省職員の梅津庸成を擁立したが与党が推薦した佐藤孝弘に敗れ50年以上維持してきた非自民の市長も明け渡すことになった。俗に民主王国と言われる各県でも、特に岩手県は新進党・自由党を渡り歩いてきた小沢一郎系議員の当選が多く、特に「小沢王国」と呼称されてきた。もっとも、この俗称を用いる場合において、「小沢王国」=「民主王国」とは必ずしも言えない。例えば第41回衆議院議員総選挙総選挙においては1区・3区・4区の選出議員は全員が新進党、現行の民主党が既に成立していた第42回衆議院議員総選挙では全員が自由党所属の議員であり、2003年の民由合併で初めて民主党所属の議席が誕生した形となる。すなわち、小沢一郎が渡り歩いてきた政党に所属する候補が多数当選する選挙区の多い都道府県が「小沢王国」である。しかし新進党の解党以後、小沢系が安定して大量当選をしている都道府県は岩手県のみであったため、事実上岩手県=「小沢王国」の図式となっていた。なおこの定義から、小沢の民主党離党後に行われた第46回衆議院議員総選挙・第23回参議院議員通常選挙では、当時の小沢の在籍政党である日本未来の党→生活の党の候補者が多数当選した都道府県を小沢王国と呼称することとなるが、後述の通り2つの選挙では小沢を除く党所属者の落選が相次いだ。岩手県の4選挙区のうち、2区のみ、自民党の鈴木俊一が地盤としており、第41回以降、45回を除く総選挙で勝利している。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、選挙前の自由党と保守党の分裂に伴い、元々小沢系であったが保守党に移ることで小沢と対立した佐々木洋平と、小沢系の新候補である黄川田徹が3区にて激突したが、黄川田が危なげなく勝利。同じく小沢系である1区の達増拓也が岩手県知事選挙出馬に伴い議員辞職した際も、補欠選挙(第21回参議院議員通常選挙と同時実施)において後継となった階猛が自民党候補にダブルスコアに近い大差をつけて圧勝しているなど、その地盤はゆるぎないものがあった。民主党が各県で敗北した第44回総選挙でも3選挙区の選出者は変わらず、また第45回総選挙では、元々鈴木俊一の地盤であった2区すら小沢系の畑浩治が制し、県内の衆議院小選挙区の議席をすべて獲得するほどの強さを見せていた。しかし、2011年の東日本大震災の発生後、1区の階、3区の黄川田の二人は震災後の対応など様々な要因から小沢と袂を分かち、小沢は2012年に民主党を離党して国民の生活が第一を立ち上げるが二人は民主党に残留する。このことで、第46回総選挙において小沢は二人の選挙区に刺客の対立候補を日本未来の党(国民の生活が第一が合流)から送り込むこととなる。結果としては、民主党に残った階と黄川田は議席を守り、小沢が新たに擁立した未来候補はいずれも比例復活すら成されなかった。2区の畑は小沢につき未来の党の候補としてともに戦ったが、鈴木に議席を奪還された。畑は比例復活したものの得票率は45回の鈴木のそれを下回り、4区の小沢自身も自民党の新人候補の比例復活を許す形となった。結果的には、他都道府県でも民主党や民主党離党組の惨敗とも言える状況に陥る中で、岩手県では(得票率こそ落ち、上述のように全選挙区で自民党議員の当選または比例復活を許したものの)民主党及び民主党離党組(岩手県においては4区の小沢と2区の畑)の戦績は3勝1敗と善戦しており、また第46回総選挙における県内小選挙区選出者は、第44回補欠選挙以降における選出者とまったく同じである。皮肉にも小沢が育て上げた候補の勝利により、この選挙においては事実上全国で唯一「民主王国」の面目が保たれたとは言える。しかしながらこの選挙を経て「小沢王国」は崩壊したと言える。これまで小沢は県内選挙区に意中の候補を送り込み、前任者が小沢に対立しようものならそれが現職候補でも落選させてきたことこそが同県が「小沢王国」であった所以である。表面上の当選者は変わらずとも、各候補が「小沢の言うことを聞く候補」でなくなったこと、またそれに対し小沢が送り込んだ新候補が歯牙にもかからず惨敗したことが、「崩壊」の理由として挙げられる。また、続く第23回参議院議員通常選挙の岩手県選挙区でも、かつて小沢系であったが、民主党を離党し無所属で戦った平野達男が3選した。小沢はやはり対立候補を生活の党(日本未来の党から非小沢系議員が離党後改称)から出したが、平野はおろか自民党候補にすら7万票差をつけられた3位で敗北している。参議院では小沢の自民党離党以前から選出方法は変わっていないため、「小沢の渡り歩いた政党の候補または支援候補」が当選し続けている様相がより分かる選挙結果が続いていたが、こちらも「小沢の推す候補」としての票が「現職」票にシフトしていった結果を如実に現しており、「小沢王国」の崩壊を助長する選挙となった。この参院選では、民主党からも候補者が出ていたが生活の党候補者の票数すら下回り、「民主王国」としての立場も危うくしているが、衆院選に引き続き現職候補が勝利しており、民主党出身者は他党に移っても敗北することが多かった他都道府県とは一線を画していると言える。2015年では知事選で達増が無投票当選を果たした一方、盛岡市長選挙では現職で自公が推薦する谷藤裕明が民主および生活が推薦する内舘茂を破り4選を果たしており小沢および民主党の影響力の低下をさらに裏付けるものとなった。しかしながら2016年の第24回参議院議員通常選挙では、岩手県選挙区において生活の党所属の木戸口英司(主濱了の後継)が当選している。民主党の重鎮である輿石東の地元・山梨県も民主党が強い地域である。第44回衆議院議員総選挙では郵政選挙により自民党が圧勝したのに対し山梨県では民主党が自民党に勝利(3選挙区で民主1、自民0、無所属2)した数少ない地域であるほか、第45回衆議院議員総選挙においては3選挙区すべてで当選を果たしただけでなく自民党をはじめとする他の候補者の比例復活当選も許さず、これまで参議院を独占していた議席を合わせ5議席すべてが民主党議員となり、かつ民主党以外の政党および無所属の国会議員がゼロになる「民主党独占」現象が起きた。しかし第46回衆議院議員総選挙において第1区から過去4選していた小沢鋭仁が離党したため斎藤勁を擁立するも自民党候補に敗退し、斎藤は比例復活も果たせず議席を喪失。また第2区も現職の坂口岳洋が保守系無所属に負け比例復活も果たせなかった等民主敗退の煽りを受ける形となった。それでもこの選挙を最後に廃止される第3区では現職の後藤斎が自民党新人を僅差でかわし民主王国の面目を保っている。第47回衆議院議員総選挙ではみんなの党から移籍した中島克仁が山梨県第1区で自民党現職を破り、選挙区で全滅した自民党をよそに1議席を確保した(但し2選挙区で落選した自民党候補者はいずれも比例復活を果たしている)。参議院選挙においては第23回参議院議員通常選挙では無所属で立候補した坂口岳洋を推薦したが自民党新人に敗れ、2007年から続いていた参議院の議席独占が解消されたが、第24回参議院議員通常選挙では輿石が引退したものの日本共産党が候補を取り下げ野党統一候補となった民進党公認の宮沢由佳が当選し、参議院での地盤喪失を回避した。民主王国は地方選挙にも波及しており、2003年山梨県知事選挙では民主党から支持を受けた前甲府市長が保守系の前国会議員を破り、また同日投票の甲府市長選挙でも民主党推薦の新人が自民党推薦の新人を破るなど民主党有利の状況となっている。その後知事については山梨県議会が自民党所属の議員が多数である状況でねじれが発生し、また輿石東の支持母体である山梨県教職員組合の政治運動問題が発覚するなど逆風となり、2007年山梨県知事選挙には前回破った保守系候補者に敗れ1期で明け渡す結果となった。但し上述の通り自民党山梨県連の混乱は続いており、2015年山梨県知事選挙では民主党に所属していた後藤斎が出馬を早々と表明したのに対し自民党は出馬要請をことごとく断られ、結果実質民主党の候補に自民党が相乗り推薦する状況となった。甲府市長選でも同様の現象が起き、知事および県庁所在地は再び民主党系の首長が取り仕切ることになった。なお、甲府市は4人続けて民主系(旧社会系)が首長となっており、市議会も民主系が自民系を上回っているなど民主王国の強固なる地盤となっている。山梨県の場合元から民主(旧社会)が強かったわけではなく、むしろ1980年代までは自民党の重鎮であった金丸信をはじめとする保守王国であった。しかし1990年代に自民党議員の相次ぐ逮捕、2005年には第45回衆議院議員総選挙(所謂郵政解散)における「郵政造反組」と「小泉チルドレン」の扱いについて自民党本部と自民党山梨県連が対立(県連が造反組を支援したことが問題となった)。さらに自民党山梨県連の2県議会派が対立し上述の通り国政選挙や首長選挙で独自候補を擁立することすら困難な状況になっており、民主党系が地盤を固め躍進しているのはもちろんであるが自民党が自滅を繰り返しているのも民主王国となっている一因である。小選挙区制を導入以後、民進党系候補(前身の野党系候補を含む)が独占している選挙区を以下に列挙する。民進党系(及び野党系含む)議員が2人独占している1人区と少なくとも1回の改選あたり2人以上選出している複数人区を以下に列挙する。
出典:wikipedia
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