コンラート・ゾイゼンホーフェル(Konrad Seusenhofer, 1450年~1460年頃 - 1517年8月30日)は、中世ヨーロッパの鎧鍛冶職人。パトロンに神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世がいた。鎧作りの中心地の一つ、中世ドイツ南部の大都市アウクスブルクで父から鎧作りを学んだ。評判が伝わってマクシミリアン1世から声がかかり、弟のハンス(Hans Seusenhofer, 1470年前後 - 1555年)と共に、チロル地方にある、皇帝の住むハプスブルク家領の都市インスブルックへ移った。そこでコンラートは、1504年に皇帝専属の鎧職人として任命され、年間200フローリンもの俸給(平均的騎士の4倍、王宮直属の騎士の2倍)をもらっていたと言われている。コンラートと皇帝の親密さを示す絵が残されており、その工房の絵(ハンス・ブルックマイヤー画)にはハンマー、ステイク(stake)と呼ばれる小型の金床、ふいご等、作業道具も描かれている。コンラートの死後、工房はハンスに引き継がれた後、ハンスの息子イェルクに引き継がれる。当時は既にマスケット銃が戦闘で使われる時代になっており、弾丸は鉄を貫き、鎧は時代遅れとなりつつあった。その上でプレートアーマーを制作するにあたっては、装甲の厚さと重量のバランスが問題となった。そこで彼は、ヘルメットの前側を1mm厚くし後頭部側を1mm薄くする等、鎧として強度を保ちつつ軽量化を図る工夫をした。また軽量化のため、材料には鉄よりも強度のある鋼を用いた。鋼を鎧として使うには、強度を増すために焼き戻しが必要であるが、炭素の含有量と熱処理の温度によって性能が大きく変化するため、適切な温度を見極める必要がある。温度計が無い時代に温度変化を判断するのは難しい事だが、焼入れ時には鋼が赤熱している様子、焼き戻し時には表面が青く変化する様子を見て判断した。刀鍛冶や鋳掛け等の作業中には温度計の使用が困難なため、現在でも上記の様な方法が取られる。また、精錬技術の発達していない当時、材料となる鉄には不純物であるスラグが含まれ、炭素の混ざり方も不均質だった。そのような材料からでも、彼は均質で不純物が取り除かれた鎧を作っていた事が、電子顕微鏡で確認されている。この鋼の鍛え方の技術開発については、発注者である皇帝が発見したと、木版画挿絵の伝記白王伝の中に記しているが、どのように発見したかはわかっていない。これらの工夫は当時としては画期的であり、各地から名工と呼ばれた。彼の作った鎧は贈り物としても扱われ、いくつかは各地で保管・展示されている。
出典:wikipedia
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