スコット・ウィリアム・マシソン(Scott William Mathieson , 1984年2月27日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。右投右打。カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身。高校時代はカナダの学生野球リーグブリティッシュコロンビア・プレミア・ベースボール・リーグでプレー。のMLBドラフトで、フィラデルフィア・フィリーズから17巡目指名(全体509位)を受け入団した。ガルフ・コーストリーグを皮切りにマイナーリーグで経験を積む。には、オールスター・フューチャーズゲームに世界選抜の一員として出場。シーズン開幕前には、この年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表に選出された。1次リーグ第2戦のアメリカ合衆国戦でリリーフとして1イニングを投げ無失点に抑えた。シーズンでは、6月17日のタンパベイ・デビルレイズ戦で、メジャーデビューを果たした。8月1日のセントルイス・カージナルス戦では5回3安打3失点でメジャー初勝利を上げる。しかし9月2日のアトランタ・ブレーブス戦で右ひじの痛みを訴え降板。同月29日にトミー・ジョン手術を受けた。8月にAA級レディングで実戦復帰したが、右ひじの違和感を訴え、再び戦線離脱。に、二度目のトミー・ジョン手術を受けた。6月下旬に実戦復帰し、ガルフ・コーストリーグで22試合に登板した。は、AAA級リーハイバレーで開幕を迎え、6月18日のミネソタ・ツインズ戦で4年ぶりにメジャー復帰。しかし、シーズンの大半はマイナーで過ごし、54試合の登板で3勝6敗26セーブ、防御率2.94、WHIP1.13だった。もリーハイバレーで開幕を迎え、5月8日のアトランタ・ブレーブス戦でメジャー昇格。同月22日にマイナー落ちし、翌6月30日に再昇格するも7月5日に再降格。その後は昇格することなくシーズン終了。この年は復帰後初めて先発でも起用され、リーハイバレーでは12先発を含む30試合の登板で2勝2敗5セーブ、防御率3.28、WHIP1.47の成績を残す。11月29日に契約を解除した。12月2日に読売ジャイアンツと1年契約を結ぶ。来日1年目の2012年は守護神候補として期待されたが、春季キャンプで加治前竜一の頭部に死球を当てるなど制球難を露呈した。開幕前後に二軍で調整中に豊田清二軍投手コーチから、投げ急ぐ癖とフォークボールの握りを修正されたことで復調すると、4月15日に中継ぎの人材補充のため1軍昇格した。昇格後はリリーフで11試合連続無失点を記録。5月3日には来日初勝利を挙げ、「きょうは球団の方が妻にボックス席を用意してくれたので、感謝している。この1勝は妻にささげたい」と語った。同月9日には初セーブも挙げるなど、セットアッパーとして好投を続け、6月29日の中日ドラゴンズ戦から西村健太朗に代わって抑えを任された。7月5日にはプロ野球史上4人目となる球速160km/hを記録。オールスターまでに10セーブを挙げたが、7月27日に右ひじの違和感で登録を抹消し、専門医の治療を受けるため一時帰国する。10月5日の横浜戦で戦線復帰。CSでは5イニングを投げ失点0被安打1と活躍。日本シリーズ第2戦では9回表に2アウト1塁3塁というピンチの場面で登板、一球で二岡智宏を打ち取り、日本シリーズでは初となる「一球でセーブ投手」を達成。日本一のかかった第6戦でも1点差の8回表に登板して無失点に抑え、チームの日本一に貢献した。1月17日に、第3回WBC本戦のカナダ代表が発表され、代表入りした。大会では2試合に登板した。シーズン開幕後は、一時抑えを任された2012年シーズンとは異なり、1年を通してセットアッパーとして起用された。自身に加え、同じくセットアッパーの山口鉄也、抑えの西村健太朗で盤石の必勝パターンを築き、リーグ優勝に大きく貢献。シーズン途中で離脱することなく活躍し、前年より公式球が飛ぶようになったものの防御率・WHIPいずれも向上した。また登板試合数・ホールド数なども前年を大きく上回る成績を残し、42ホールドポイント(2勝40ホールド)を記録。自身初のタイトルとなる最優秀中継ぎ投手を山口鉄也と共に獲得した(同賞を外国人投手が受賞するのはセ・リーグ初)。シーズン終了後は新たに2年の複数年契約を結んだ。2014年は開幕第2戦の阪神タイガース戦で黒星を喫する。その後も失点するなど序盤は不安定な投球が目立った。その後、抑えの西村の不振で抑えを任される。最終的に防御率は3点台と過去2年と比べると不安定だったが抑えとして30セーブを挙げ、リーグ優勝に貢献した。その一方で阪神戦は前述の開幕第2戦の黒星と福留孝介にサヨナラ本塁打、マウロ・ゴメスに延長勝ち越し本塁打を浴びる等、打ち込まれた。2015年はこの年からリリーフに転向する澤村拓一とキャンプからオープン戦にかけて守護神争いをしていたが、不調に陥った。一方澤村は好調で守護神は澤村に決定し、自身は2軍落ちし開幕2軍スタートとなった。3月31日に1軍登録されるとセットアッパーに回った。2016年は先発要員として調整し、オープン戦でも先発登板したが、開幕後はセットアッパーに戻された。80イニングを投げて奪三振数を前年度より大幅に改善しながら四球も少なく、リーグ最多登板となる70試合登板を果たし8勝41ホールドという好成績を残した。一時的に先発投手の菅野智之より多くの勝利数となり話題となった。オーバースローから投げる平均球速約152km/h、最速101mph(約163km/h。日本での最速は160km/h)のストレートを中心に、スライダー、スプリッターを混ぜる投球スタイル、稀にカーブ、チェンジアップなどを投げる。故障から復帰した2009年からはマイナーでの通算奪三振率10.05と高い数値を残している一方で、同通算与四球率4.32と制球に課題を抱えていた。同僚だったジョン・ボウカーと共に休日返上で練習に励むなど、チームメイトやコーチからは「非常にマジメ」、「何かを吸収しようとする貪欲さは日本人以上」と評されている。また、「肩は消耗品」と投げ込みを嫌う外国人投手も多いなかで、「日本人はやっているし、ピッチングが良くなるなら」と100球以上の投げ込みにも挑戦した。憧れの選手にイチローの名を挙げている。ハンティングが趣味で獲物の七面鳥やワニの肉を好んで食べる。
出典:wikipedia
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