ソユーズの一覧(ソユーズのいちらん)では、過去のソユーズ宇宙船の機体の名称と概要(計画のみで終わったものを含める)を挙げる。ソユーズ、サユース(ロシア語:〔サユース〕、英語:Soyuz〔ソユーズ〕)は、ソビエト連邦及びロシア連邦の1 - 3人乗り有人宇宙船。ソユーズ計画そのものについてはソユーズとソユーズ計画を、ソユーズ宇宙船を打ち上げるソユーズロケットについてはソユーズとR-7 (ロケット)を、ソユーズ宇宙船の派生で無人補給船バージョンについてはプログレス補給船を、ソユーズ宇宙船の次期モデルだと一時考えられていたリフティングボディ構造の宇宙船についてはクリーペルをそれぞれ参照。ソユーズ宇宙船はアポロと同様に月面に人を送り込むことを目的に計画された。結局ソ連は月に人を送り込むことができなかったが、無人のソユーズ宇宙船(ゾンド)はアポロよりも早く月を周回している。以下にはその月に人を送り込む目的で計画されたソユーズ宇宙船のモデルを記述する。ソユーズA(ソユーズ7K)有人船、ソユーズB(ソユーズ9K)推進船、ソユーズC(ソユーズ11K)補給船をそれぞれ別のロケットで打ち上げ、軌道上で一列にドッキングして月接近飛行を行うというコンセプトがセルゲイ・コロリョフによって提案されたものの、計画のみで終わった。ソユーズAは前から順に軌道船・帰還船・機械船が並ぶ構造、機械船の左右に太陽電池パネルを搭載するなど、実際に最初に飛行したソユーズ7K-OKをはじめ、その後のソユーズシリーズの基本となるものはこの時点でほぼ全て計画されていた。ソユーズ7K-OKをベースに、ソユーズL1計画(月周回飛行)のために、後述する7K-L3と平行して計画されていた機体。ソユーズではなくゾンドとして、ゾンド4・5・6・7・8号が生物を乗せて月を周回した他、数機が打ち上げに失敗している。「ゾンド」とはロシア語で「無人計測器」の意味だが、ソユーズではなくこの名称で実験をしていたのは、アメリカ側に計画を悟られなくするためであったと思われる。重量軽減のため、他のソユーズシリーズにある軌道船が省かれ、乗員も2人になっている。1970年10月30日、ソ連政府からL1計画の中止が求められると同時に、7K-L1の役割も消えた。ソユーズ7K-OKをベースに、ソユーズL3計画のため、7K-L1と平行して計画されていたモデル。7K-L3ではなく7K-LOKと表記されることもある。アポロ月宇宙船はCSM(司令・機械船)とLM(月着陸船)の間を通路で直接行き来できたが、LOK(月軌道船)とLK(月着陸船)を結ぶ通路はなく、LKのクルーは宇宙遊泳して乗り移る。このために新型の宇宙服が開発され、改良を重ねてISS(国際宇宙ステーション)でも使われている。7K-L1と違って太陽電池パネルがなく、代わりに燃料電池を搭載するため、外見はCSMに似ている。また軌道船には月面から戻ってきたLKとドッキングする時のために目視確認用の「キューポラ」がある。帰還船には7K-L1と同様の厚い耐熱シールドが備えられ、再突入時には大気圏上層部で「水切り」することになっていた。2機の7K-L3が無人でN-1ロケットの最上部に取り付けられ、打ち上げ実験が行われた。ロケットは2回とも爆発したが、宇宙船は(1983年のソユーズT-10-1のように)打ち上げ脱出システムによって切り離され、わずかな距離だけ飛行した。1974年6月23日、政府からソユーズL3計画の中止が言い渡された。実際に宇宙に飛び立った機体は1機もなく、計画中止後はN-1も含めて全てスクラップにされた。アポロ宇宙船のLM(月着陸船)に似ているが、LMの3分の1の重量で1人乗り。コスモス379・398・434号が無人テスト機として打上げられている。有人での月飛行を目指して作られたソユーズだが、ソ連が有人での月飛行計画を中止した後は、もっぱら地球を周回する軌道に限定して使用された。人が死亡する事故を2度、間一髪で助かった事故を何度か起こしているものの、有人宇宙船としての安全性は非常に高く、様々なバリエーションを持っている。初めて実用化されたソユーズ宇宙船のタイプ。ちなみに乗員が3人とあるが、中が狭く、3人の定員いっぱいまで乗船すると与圧服が着られなかった。最初の9機はドッキングは可能だが機体同士を直接行き来できるハッチはなく、乗り移る場合はエアロックから出て、軌道船の外壁を伝って移動しなければならなかった。ソユーズはコスモス衛星として無人で打ち上げ実験を行い、ソユーズ1号での初有人フライトにはウラジーミル・コマロフが選ばれて大気圏再突入までは順調にフライトは進んでいた。しかし再突入後、減速用パラシュートが開かずにそのまま地表に激突し、コマロフは死亡してしまった。これが最初の宇宙飛行中の事故死だと言われている。その後ソ連はソユーズ2号を無人で飛行させ、3号から再び有人で飛行するようになった。ソユーズ3号は無人の2号の姿を確認できるまでに接近した。次のソユーズ4号と5号はドッキング装置を有しており、軌道上で初の宇宙船同士のドッキング実験を行い、4号の飛行士が5号に、5号の飛行士が4号に乗り移って地球に帰還した。5号は着陸時の逆噴射エンジンが作動せず、着陸時の衝撃でボリス・ボリノフ飛行士が重傷を負う。さらにその次の6号、7号、8号が宇宙空間でランデブー(編隊飛行)を行った。この編隊飛行の目的は、ソ連の計画していた有人の月旅行を考えた技術的な訓練であったという説が有力。故障により実際には行われなかったとはいえ、ドッキング装置を有していたこともその可能性を裏付けている。9号では、宇宙空間に長期滞在し、生活することが可能かどうかの実証のため、18日間におよぶ長期の飛行を成し遂げた。これはサリュート計画の布石、人間が宇宙空間で長期滞在できるかの実証だと言われている。7K-OKをベースに、宇宙ステーション(サリュート)とのドッキングポートを取り付けたモデル。ドッキングポート以外の基本的な構造は7K-OKと変わりはない。ソユーズ11号での事故で乗員全員が死亡したことでモデルチェンジが加えられたため、7K-OKSが使用されたのは10号と11号の2機のみである。ソユーズ11号の事故を受けて、乗員の安全を優先するようにしたモデル。12号から40号まで使用された。与圧服を着られるようにした代わりに乗員が最大2名に制限された。ちなみにこのモデル以降のソユーズは月へ行くことは考えておらず、もっぱら低軌道にあるステーションとの人員輸送に的を絞られている。その証拠に、7K-Tは太陽電池パネルを持たず、バッテリーで電力を確保するモデルもあった。この方式だと電力は2日分しか持たないが、ステーションにドッキングした後はステーションの太陽電池パネルで発電された電力が供給されるため、問題なかった。13号は宇宙と地上を撮影する「オリオン2」カメラを搭載していたため、ドッキングシステムが改修されている。7K-Tのもう一つのバリエーションが、軍事用宇宙ステーション・アルマーズへの飛行に使われた7K-T/A9である。7K-Tと同時期に運用されていた機体ではあるが、こちらは7K-OKと同じように与圧服を着られない3人乗りで(ただし公表されている限り、この時期のソユーズで3人が乗り込んだミッションはない)、太陽電池パネルを持っていた。そのため7K-Tのように電力で日数に制限が出ることはない。7K-OKのドッキング装置やパラシュートに改良を加え、遠隔操作装置を有している。7K-T/A9は軍事目的で開発された機体であり、宇宙ステーションでの実験や観測を主目的にしていた7K-Tとはその目的が異なる。また公開されていない情報も多い。28号以降、クルーのうち1人を外国人としたミッションが度々行われるようになる。アポロ・ソユーズテスト計画のため、アメリカから、アポロの環境に合わせられるよう要請されて7K-Tをベースに設計された機体。ドッキングポートをAPASに改め、アポロ司令・機械船内の気圧(0.68気圧=69kPa)に合わせられるよう減圧・加圧室が設けられ、太陽電池も新型のものに交換された。なおそのような改造をした結果、定員は2人になった。記録上は、アポロ・ソユーズテスト計画に用いられた19号のほかは22号しか使われていない。こちらはドッキングポートの代わりに東ドイツ製のカメラが取り付けられ、写真撮影任務を行った。ソユーズ7K-P(Perekhvatchik:宇宙戦闘機)とソユーズR(Razvedki:宇宙指揮偵察機)は1962年にセルゲイ・コロリョフによって提案された。初期案では7K-PはソユーズB推進船およびソユーズV輸送船とドッキングして燃料補給を受け、高度6,000km以内にある敵の衛星を迎撃する。ソユーズRシステムは写真および電子偵察機能を持つ小型宇宙ステーション11F71と人員輸送用のソユーズ7K-TKで構成される。7K-Pは敵衛星の査察あるいは破壊のために設計されたが、そのためには標的の衛星にランデブーする必要があった。後にはクルーの負う危険を局限化するためにソユーズ7K-PPK(pilotiruemovo korablya-perekhvatchika:有人宇宙戦闘機)が提案された。ズヴェズダ(星)はソユーズを基にした宇宙ステーションである。有人で地球を観測し、敵衛星を査察あるいは破壊する。電源として2基のプルトニウム電池を搭載し、敵の査察あるいは迎撃衛星からの自衛用に、真空中で撃つために設計された無反動砲を装備している。砲身は固定され、ステーション自体を動かして照準する。帰還モジュールには照準用の窓が開けられている。アルマーズとのドッキングも可能である。1966年に6人の宇宙飛行士(パイロット・エンジニアのペアが2組と予備のエンジニアが2人)が選ばれて訓練を受けていたが、1967年に計画は中止された。ソユーズOIS(軌道偵察ステーション)は、別々に打ち上げられた軌道ブロックの11F731 OB-VIと人員輸送用のソユーズ7K-Sで構成される。コスモス670・772・869号が無人テスト機として打ち上げられた。7K-TMと軍事用ソユーズを基に改良されたソユーズである。より長期のミッションに対応できるよう太陽電池パネルが大型化され、「イグラ」ランデブーシステムと新型のスラスターが装備された。また、3人のクルーが与圧服を着たまま乗り込めるようになった。ミールおよび国際宇宙ステーションとの往還を目的としたソユーズTの改良型である。新型の「クルス」(Kurs:英語の発音はカーズまたはコーズ)ランデブー・ドッキングシステム、通信システム、パラシュートと連動した着陸用逆噴射ロケットが装備されている。クルスシステムは、旧型機のように宇宙ステーションと「鏡合わせの」機動をしなくてもドッキングできる。ミール長期滞在クルー(ロシア人2人)と短期滞在クルー1人(外国人が多い)の組み合わせが基本になっているが、例外もある。国際宇宙ステーションへの人員輸送のためにアメリカ航空宇宙局 (NASA) からの要請に基いて設計変更が施されたソユーズ宇宙船である。クルーの身長・体重の許容範囲が広げられ、パラシュートシステムも改良された。使い捨て型宇宙船としては初めてグラスコックピット化された。外見は前世代のソユーズTMと変わらないが、内装は大柄の宇宙飛行士が搭乗可能になるなど居住性が向上している。TMA-2からTMA-14までとTMA-16はISS(国際宇宙ステーション)長期滞在クルー(ロシア人2人、またはロシア人とアメリカ人各1人)と短期滞在クルー1人の組み合わせ。TMA-15とTMA-17以降は3人全員が長期滞在クルー(ロシア2人とアメリカ人1人、またはロシア人1人とアメリカ人2人、またはロシア人・アメリカ人・その他各1人)。新世代のソユーズTMA-M宇宙船は、旧世代のソユーズTMA宇宙船を基に開発された。外見的な仕様は前世代のソユーズTMAに準拠しほとんど同じである。主な変更点は、内部に搭載されるシステムである。機械船に搭載する誘導・航法・姿勢制御システムは、構成する電子デバイスの使用点数を少なくし、小型・軽量・省電力化した。軌道船・帰還船・機械船の各々に搭載するジャイロ・加速度センサなどセンサーを使っての計測システムも、電子デバイスの使用点数を少なくし省電力化した。また機械船に搭載する船内熱制御システムには、新型の誘導・航法・姿勢制御システム及びその他のシステムから発生する熱の対処するため、新たに複数の冷却板を装備し、冷媒液の電動ポンプの容量を拡大させ、熱交換器も性能の良い物に交換した。誘導・航法・姿勢制御システムや計測システムのコンピュータのコマンド処理ユニットと内蔵プログラムを更新した。各システムに電力供給するための電力切り替えユニットを更新した。宇宙飛行士の操作パネルには、搭載システムの近代化に対応して、コマンドや信号データの変換ための新しいソフトウェアを導入した。機械船内の装置の架台は、マグネシウム合金からアルミニウム合金に変更し、加工性等の技術的効用が向上した。ソユーズの船内コンピュータと国際宇宙ステーションのロシアモジュールの間のデータ通信をデジタル多重通信化した。以上をまとめると、ソユーズMS宇宙船は、予定されている中では最終の改良型である。変更点は以下の通り。
出典:wikipedia
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