フルカ・オーバーアルプ鉄道HGe2/2形電気機関車(ふるか・おーばーあるぷてつどうHGe2/2がたでんききかんしゃ)は、フルカ・オーバーアルプ鉄道()でかつて使用されていた山岳鉄道用ラック式電気機関車である。マッターホルン・ゴッタルド鉄道の旧フルカ・オーバーアルプ鉄道区間のうち、本線の旧街道沿いの宿場町アンデルマットからロイス川のゲシェネン渓谷を下ってスイス連邦鉄道(スイス国鉄)のゴッタルド鉄道トンネルの北側入口であるゲシェネン間を結ぶシェレネン線は1917年7月12日にシェレネン鉄道 (Schöllenenbahn (SchB)) により開業した直流1200V電化の路線であり、アンデルマット がスイス陸軍の重要拠点であったため、当初より全線電化で1925年には通年運行が開始されている。1900-1910年代のスイスのラック式登山鉄道では、1898年に開業したユングフラウ鉄道、ゴルナーグラート鉄道、シュタンスシュタート-エンゲルベルク鉄道以降、ほとんどの鉄道で2軸式のラック式専用もしくはラック式/粘着式併用の小型電気機関車が客車を押し上げる形態の列車での運行が主力となっていた。これらの機関車はそのほとんどが機械部分をSLMが製造しており、動輪または車体支持輪を2軸持ち、主電動機とラック式の駆動装置を車体内に装備する小型箱形車体の機関車であった。一方、1900年代にはモンテイ-シャンペリ-モルジャン鉄道やマルティニ・シャトラール鉄道などの一部路線ではラック式の小型化した駆動装置を台車内に組み込んだ電車が運用され始めており、同時に、従来からの2軸式の機関車は大型化と高出力化が図られていた。そういった中でシェレネン鉄道では開業に際して客車7両、貨車11両などを導入し、その牽引用やアンデルマットおよびゲシェネン駅、ゲシェネン貨物駅での入換用として小形のラック式電気機関車を採用することとなり、製造された機体が本項で述べるHGe2/2形であり、1915年に1-4号機の4機が導入され、同鉄道開業から1940年代に至るまで本形式が同鉄道唯一形式の動力車であった。この機関車は車体、機械部分、台車の製造をSLM、電機部分、主電動機の製造をBBCが担当し、1時間定格出力235kWを発揮し、最大勾配179パーミルで40tの列車を牽引可能な性能を持っていた。シェレネン鉄道の電気方式は開業以来直流1200Vであったが、アンデルマットで接続し、1940年代まで非電化であったフルカ・オーバーアルプ鉄道が第二次世界大戦による石炭の 価格高騰の影響によって同鉄道も電化されることとなり、両端で接続し、1930年からは夏期に氷河急行の客車の直通が行われていたレーティッシュ鉄道およびブリーク-フィスプ-ツェルマット鉄道の前身であるフィスプ-ツェルマット鉄道 と同じAC11000V16 2/3Hzで1940-42年に電化されることとなったため、アンデルマット駅構内を共有するシェレネン鉄道も電化方式を変更することとなり、1941年10月17日から同じ交流11000V16 2/3Hzでの運行となっている。これに伴い、シェレネン鉄道ではBCFhe2/4形電車の41号機を導入するとともに、本機の電機品もBCFhe2/4 41号機と同等の交流対応機器に換装し、同時に出力も増強されて48tの列車の牽引が可能となっている。その後、第二次世界大戦の終結により、シェレネン鉄道の輸送量は1950年代には大きく落ち込んできたため、同鉄道は1961年8月1日にフルカ・オーバーアルプ鉄道に統合されることとなり、本形式も他の車両とともにフルカ・オーバーアルプ鉄道所属となってHGe2/2形の21-24号機に改番されたほか、塗装や表記類も順次同鉄道のものに変更されている。なお、各機体の機番(シェレネン鉄道)、機番(フルカ・オーバーアルプ鉄道)、SLM製番と製造年は以下のとおりである。直流電化交流電化共通
出典:wikipedia
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