ボールドウィンA形台車(ボールドウィンAがただいしゃ)はアメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(Baldwin Locomotive Works:BLW)社が開発した鉄道車両用台車の一形式である。本項目では改良発展型であるボールドウィンAA形台車および下位モデルであるボールドウィンK形台車、それに日本の日本車輌製造・汽車製造などが製造した同系台車についても取り扱う。アメリカの主要車両製造事業者協会(Master Car-Builders Association)が制定したMCB規格に準拠する、高速都市間電車(インターアーバン)向け釣り合い梁(イコライザー)式台車(MCB台車)の一種として、またBLW社によるインターアーバン・路面電車市場への進出第1作として1900年代中頃に設計された。原型となったのはBLW社の本業というべき蒸気機関車用として設計された2軸先台車であり、軸箱の位置などの相違点は見られるものの、破損時の交換が容易な部材構成や線路に対する追従性に優れた機構設計などにその影響が色濃く現れている。なお、本形式は型番としては一般にBW 78-25Aなどと表記されるが、これは順にメーカー名の頭字語、ホイルベース(軸距:インチ)、心皿荷重上限(×1,000ポンド)、台車形式を示す。形鋼や帯鋼などの一般的な鋼材を曲げ加工してリベットやボルトで組み立てた台車枠を中心に、左右それぞれ2枚ずつの鍛造釣り合い梁を各軸箱間に渡して取り付けてある。これらの釣り合い梁は2枚で1組を構成し、その間に釣り合いばねからの荷重を受け止める天秤式のばね座を前後の軸箱近くに各1組ずつピンで挟み込む形で結合してある。台車枠からの荷重は複列のコイルばね経由でこれらのばね座に伝えられ、更にはばね座の可動ピンから釣り合い梁を経て軸箱に伝えられる、典型的な釣り合い梁式台車である。本形式は釣り合いばねを複列化することで各コイルばねのばね定数を引き下げ、乗り心地を良好なものとしており、このばね座との位置関係から三日月形の優美な釣り合い梁を備えているのが外観上の一大特徴である。また、枕ばねは複列の重ね板ばねを使用し、台車枠から吊り下げられた揺れ枕で心皿荷重を受け止める構造(スイングボルスター方式)となっているが、これはMCB規格での推奨条件に従って設計されたものであった。更に、軸箱守は丈夫で変形時の修理の容易な可鍛鋳鉄( cast iron、マリアブル)を使用しており、長期使用や悪路での使用による摩耗や破損に十分配慮した設計である。これは総じて簡潔かつ合理的な設計の台車であり、条件の良否によらず軌道に良く追従し、しかも構成部材の大半が市場での入手の容易な形鋼材で構成されており、大がかりな鋳造・鍛造設備を要しないという特徴を備える。それゆえ、工業力が著しく貧弱であった戦前の日本においては、特に小規模な整備工場でも破損時などの修理を容易かつ迅速に行えることから、工場設備の貧弱な地方私鉄各社で強く称揚・支持された。もっとも、製造や保守の技術的なハードルが低いという美点の一方で、本形式およびその基本構造をそのまま踏襲した模倣品の多くには、部品点数が多くかつ相互間の結合の多くをボルト・ナットに依存するため長期使用で弛みが発生しやすく、常に監視と締め直しによる強度維持を図る必要がある、というデメリットが存在する。この問題については、住友金属工業や川崎車両が行ったように台車枠の各部を大型の鋳鋼製一体成形品で置き換える、あるいは台車枠全体を一体鋳鋼製とする、といった方策を採ることで解決を図る例がアメリカ・日本で1930年代以降多数出現した。なお、BLW社は台車の軸受にSymington社製品を標準採用しており、本形式をはじめとするインターアーバン向け台車もその例外ではなかった。ブリル (J.G.Brill)社のBrill 27MCB系と双璧をなす、1910年代から1920年代にかけてのアメリカ・インターアーバン全盛期に製造された高速台車の代表作であり、また上述の通り製造が容易であったことから、日本では大小を問わず当時存在したほとんどのメーカーによって模倣品が製造された。また、以下に記す南海鉄道のようにその模倣品を採寸して同等品すなわち孫コピー品を自社の直営整備工場で製造した例も存在した。以下に代表的なものを記す。汽車製造(汽車会社)はボールドウィンA形台車の模倣品を製造した日本の鉄道車両製造メーカーとしては最も早い時期に手がけた一社である。特に新京阪鉄道に阪和電気鉄道、といった京阪系の新規開業都市間高速電鉄向けとして、当時としては大形の高速台車を初期に独占納入したことで知られている。なお、汽車製造では初期には自社製台車にメーカー固有形式を与えていなかったが、後期には3Hなどのように枕ばねに用いられる重ね板ばねの列数と心皿荷重の大小(大:H、小:L)を組み合わせた固有形式を与えるようになっている。日本車輌製造はボールドウィンA形の設計を基本とする釣り合い梁式台車をD形台車として自社製電車に標準採用し、最も大量に日本の私鉄電車市場に供給した実績を持つ。なお、日本車輌製造社内での呼称はD形で統一されていたが、納入先では京阪の様にNS 84-35などとBLW社と同様の命名ルールに従って呼称していたケースが存在した。住友製鋼所(後の住友金属工業、現・新日鐵住金)は日本の鉄道車両用輪軸を事実上独占供給する台車メーカー最大手であり、鋳鋼製造技術に優れ、ボールドウィンA形台車の設計を基本としつつ形鋼組み立ての各部を一体化した鋳鋼製部品で置き換えた台車を多数製造した。大型鋳鋼品の採用には、保守の容易化と、剛性の向上によって乗り心地の改善が得られるメリットがあった。川崎車輌は、その前身である川崎造船所兵庫工場の時代から、BLW社の原設計に忠実な半月形の釣り合い梁を備える台車を各社に供給していた。その一方で、住友と共に戦前期から鋳鋼製台車枠の製造に取り組むなど、新技術の導入に積極的であったことでも知られている。また、会社としてこれらのボールドウィン系台車に対して原則的に独自の形式呼称を与えていなかったことでも知られており、同社が各私鉄に供給した同系台車はいずれもそれぞれの納入先が独自の基準に従って付した形式名で呼ばれている。独自路線を重視する日立製作所も、戦前から戦後間もない時期にかけて製造した電車用台車についてはアメリカメーカーのデッドコピー品が大半を占めていた。ボールドウィンA・AA形同等品については、自社工場で製造したデッドコピー品の他、営団地下鉄からの発生品を整備・改修した再生品に独自形式名を与えた上で各社へ供給している。帝國車輛工業は長らく鉄道省指定の客車製造メーカーであったこともあり、戦前期の地方私鉄向け電車の製造実績はそれほど多くない。中には西武鉄道向けのように製造に慣れた国鉄客車用のTR23に主電動機を装架したものを出荷した例もあった。ただし、下記のように少数ながら本形式に由来する釣り合い梁式台車の製造実績がある。木南車輌製造は新興の鉄道車両製造メーカーとして車体については個性的な設計で知られているが、台車についてはいずれも他社製品のデッドコピー品となっており、本形式の設計に由来する釣り合い梁式台車も少数ながら製造している。近畿車輛は前身の田中車輌時代から電車の製造を手がけていたが、戦後、スイスから技術導入するまでについては台車の製造実績は少ない。このため本形式の設計に由来する釣り合い梁式台車の製造実績は台車の製造が本格化した近畿車輌への改組以降に限られた。しかも同社は早期にシュリーレン式台車を開発してそちらに移行したため、ボールドウィン系台車の製造実績は希少と言って良いレベルに留まっている。南海鉄道は、戦前の1920年代から1930年代にかけて自社天下茶屋工場にて電気機関車や軌道線用の路面電車を含め車両製造を積極的に実施しており、その一環として台車製造を実施した。中小私鉄では対応が困難であったブリル社製鍛造台車枠の交換部品を自社で型鍛造にて製造するなど、私鉄直営の車両工場としては高水準の設備と技術力を備えていた。山陽電気鉄道は車両製造そのものには着手しなかったが、木造電車の広幅車体を唐竹割りにして寸法を詰めたうえで狭幅車体に組み直し改造し、また軸ばね式のボールドウィンL形台車を大改造して本形式に類似の釣り合い梁式台車に改造してしまうなど、戦前には柔軟な発想で大胆な改造工事を実施していたことで知られる。その著名さに反し、日本に輸入されたA形台車の純正品の数はそれほど多くはなく、大型化が進んだ鋼製車の時代にはほとんどの納入先でAA形の日本製模倣品が採用されている。
出典:wikipedia
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