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波勝 (標的艦)

波勝(はかち)は、日本海軍の標的艦。艦名は伊豆半島南西にある「波勝岬」に由来する。当時の読みは「はかちさき」だったが現在の読みは「はがちさき」となっている。1941年(昭和16年)度の戦時追加計画(マル追計画)により建造された標的艦。計画番号J32。標的艦として建造された日本海軍初の艦で爆撃練習専用とされた。船体は船首楼型船体を採用し、船体から分離した上甲板には爆撃演習弾に耐えるよう防御甲板には22mmDS鋼板が張られ、その下に空間を設けて安全性を向上させた。艦載艇などはこの空間に搭載され、甲板上には船として最低限必要な艦橋、煙突、マスト以外なく、小型の航空母艦のような艦型となった。甲板上には13mm機銃が搭載されたが、爆撃訓練に使用する際は撤去された。また艦幅を重巡洋艦程度に見せるための幕的を備え、それを防御甲板の舷側に並べたブームで左右水平方向に展張出来るようになっていた。当時標的艦に改造されていた「摂津」より優速(摂津18ノットに対し19.3ノット)となり運動性能も良くなった。ただし実戦では駆逐艦など30ノット程度で航行しており、標的艦にもより高い速力が要求された。また復元性能に不安があったため同型艦は作られず、改マル5計画ではその点を改良した大浜型が建造された。仮称艦名第660号艦。1943年(昭和18年)11月18日に播磨造船所で竣工、呉鎮守府籍とした。12月1日に連合艦隊付属となり24日に呉港を出港、トラックに向かった。訓練地への往復の際に護衛任務にも使えるよう、13mm機銃は12cm単装高角砲2門に交換された。同時に25mm3連装機銃や同単装機銃も多数装備、電探や水中聴音機も装備され、訓練時には取り外す予定だった。トラックでは爆撃訓練に従事していたが翌1944年(昭和19年)2月17日のトラック島空襲により被爆、パラオに退避して「明石」による修理を受けた。3月以降はリンガ泊地やダバオなどで爆撃訓練に従事し、9月に基隆回航、10月1日に基隆発の船団を護衛し10月6日に呉に帰着した。その後は瀬戸内海での爆撃訓練に従事し、無傷で終戦を迎える。1945年12月1日、呉地方復員局所管の特別輸送艦に指定され、その後は復員輸送に従事する。1946年12月23日、特別輸送艦の指定を解かれて藤永田造船所に引き渡され解体された。(注)1945年12月20日以降は「艦長」。

出典:wikipedia

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