


麻績城(おみじょう)は、長野県東筑摩郡麻績村にあった日本の城。戦国時代麻績の地を支配したのは服部清信であった。麻績城の南西の麻績古城(虚空蔵山城)に居を構えていたが、守りを強化するために麻績城を築いた。しかし、天文22年(1553年)甲斐の武田晴信が筑摩郡に侵入し、青柳城の青柳清長を従えて服部氏を追い払い、青柳氏が麻績氏を名乗り、麻績城には青柳氏が移った。天正10年(1582年)、武田氏滅亡により織田信長麾下の木曾義昌の所領となるが、本能寺の変で織田氏の軍勢が信濃から撤退すると(天正壬午の乱)、上杉景勝は旧服部氏の麻績左兵衛清正を入城させた。しかし信濃府中を回復した小笠原貞慶との争奪の地となり、最終的には小笠原氏の支配地となった。
出典:wikipedia
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