


兼松 正吉(かねまつ まさよし、天文11年(1542年) - 寛永3年9月5日(1627年10月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。兼松清秀の子で、尾張国葉栗郡島村(現在の愛知県一宮市島村)に生まれる。「金松」との表記は誤記。通称は千熊、又四郎、修理亮。織田信長に仕え、桶狭間の戦いで初陣を飾る。最初は下級武士であったが、戦功を挙げて信長の馬廻衆として活躍。本能寺の変後は、尾張に戻り織田信雄に仕えて、小牧・長久手の戦いでも信雄に属して戦っている。信雄の没落後は、羽柴秀吉の黄母衣衆として活躍、豊臣秀次に一時属するが、秀次の死後は再び秀吉に仕え、秀吉の没後は徳川家康に仕えた。慶長5年(1600年)、会津征伐に家康に従い、西に転じて岐阜城攻め、関ヶ原の戦いに従軍した。戦後、家康の子の松平忠吉の与力となり2600石を知行。忠吉が早世したのち、徳川義直に仕え、尾張藩士となった。墓所は政秀寺。
出典:wikipedia
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