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敗者復活戦

敗者復活戦(はいしゃふっかつせん)とは、一度は競技に敗れた競技者(選手)・チームを再度戦わせ、その一部を次回戦等へ進出させるために行う競技システムのことである。英語では「コンソレーション(consolation)」と呼ぶ。主に一発勝負型のトーナメント方式の大会で用いられる。これはトーナメント方式の場合は運の要素が強く、敗者は実力的に劣っているかどうかわかりにくいためであると思われる。対照的に総当たりリーグ戦ではほとんど用いられないが、これは、敗者は実力的に劣っていることが明白で、敗者を復活させる事に意義が無い、あるいは理解が得られないためであると思われる。スポーツ競技のほか、クイズなどスポーツ以外の競技や、料理・演芸などの技能コンペ形式のテレビのバラエティ番組で実施されることも多く見られる。その際には、主にスポーツ競技で使用される「ワイルドカード」という言葉が使用される場合がある。尚、放棄試合など不正・問題行為による失格の場合、敗者復活戦への出場も禁止される場合もある。敗者復活戦が採用されている競技としては柔道が有名で、主に世界大会で用いられている。2009年8月の世界選手権より前の敗者復活戦は、ベスト4の選手(準決勝進出者)に直接対決で敗れた選手をブロックごとに組み合わせて行う。まず、1回戦の敗者と2回戦の敗者、続いてその勝者と3回戦の敗者が対戦するステップラダー方式により勝者が敗者復活最終戦に進出。敗者復活最終戦はプールごとに行われ、各ブロック敗者復活戦の勝者同士が対戦し、その勝者は3位決定戦に進出(敗者は7位が確定(2名))。3位決定戦では、敗者復活最終戦勝者と別ブロックの準決勝敗者が対戦し、勝者は3位(2名)、敗者は5位(2名)となる。2009年8月の世界選手権以降、敗者復活の権利があるのは準々決勝以降敗れた選手に限定されるようになった。同じブロックの準々決勝敗退選手同士が敗者復活戦を行い、その勝者は3位決定戦に進出(敗者は7位が確定(2名))。3位決定戦では、敗者復活戦勝者と別ブロックの準決勝敗者が対戦し、勝者は3位(2名)、敗者は5位(2名)となる。なお、新旧ともに制度上、準決勝に進出した選手が3位になれず、その選手に直接対決で敗れて敗者復活戦に回った選手が3位になる可能性がある。全国高等学校野球選手権大会の前身である「全国中等学校優勝野球大会」の1916年・1917年(それぞれ第2・3回)で導入された。これは現在のような都道府県の代表ではなく、ブロックごとの代表が本大会に進出する仕組みであったため参加校が少ない上、トーナメントの勝ち上がりに端数が生じるためであった。第2回は12チームが進出し、2回戦への勝ち上がりは6チームとなるが、こうなると準決勝進出が3チームで端数が発生する。そこで1回戦の成績を参考として敗れた6チーム中成績のよかった中学明善(福岡)と鳥取中(鳥取)の2チームを「敗者復活」とみなして準々決勝で対戦し、そこで勝ったチームが準決勝に進むという形だった。この敗者復活で鳥取中学が準決勝に進んだが、準決勝で敗退している。第3回もやはり12チームで行ったが、敗者復活の対象は4チームとなり、愛知一中(愛知)、明星商(大阪)、長崎中(長崎)、和歌山中(和歌山)がそれにコマを進め、敗者復活戦を優勝した愛知一中が準決勝進出。その後決勝戦まで勝ち進んで優勝を勝ち取ったが、この敗者復活制度の意義で様々な議論が挙げられたことから、これを限りに敗者復活戦は廃止されてしまった。なお、春と秋の一部の県大会では現在も敗者復活戦が行われている。1976年の第25回全日本大学野球選手権大会では、準決勝敗退2校から敗者復活戦を実施し、準決勝で敗退した東海大学が勝ち上がって優勝した。この方式は、その年限りで廃止された。都市対抗野球大会の各地予選では、敗者復活併用のトーナメントで代表チームをきめる地区が多い。1936年の「第1回職業野球全日本選手権大会」(夏季大会)で、東京・名古屋の大会で敗者復活つきのトーナメントを開催したことがあった。将棋では、プロ将棋界の7つのタイトル戦のうち、竜王戦の竜王ランキング戦と棋王戦に敗者復活戦が存在する。1組(定員16名)では、決勝に進めなかった者は全て敗者復活に回る。2組~6組では、優勝者各1名と、2組の準優勝者だけが本戦出場する。しかし、上の組に昇級する3位(各2名)を決める昇級者決定戦(敗者復活戦)が行われる。詳細は、"竜王戦" を参照。ちなみに、敗者復活から挑戦権を得た代表例としては、2008年の竜王戦で1組5位の羽生善治が竜王挑戦者となったことが挙げられる。また、敗者復活から昇級をした代表例としては、橋本崇載が2006年までにすべて昇級者決定戦で5年連続で1組まで昇級したことが挙げられる。本戦トーナメントでベスト4に入ると、以降は1敗までならば挑戦権を得られる「2敗失格システム」となっている。暫定準決勝で敗れた2名は敗者復活の1回戦に回り、暫定決勝で敗れた1名は敗者復活の2回戦に回る。敗者復活を勝ち上がった棋士が、暫定1位の棋士と二番勝負を行い、暫定1位の棋士は1勝だけすれば挑戦者となり、敗者復活の棋士は2連勝すれば挑戦者となる。かつては、決勝は二番勝負でなかったが、「本戦側の挑戦者決定戦進出者に敗者復活の権利がないのは不公平」との声があり、1990年代に敗者復活トーナメント側の優勝者は挑戦者決定戦で2勝しなければならないように制度が改正された。テレビ番組でも用いられる事は珍しくない。特にかつては多く制作されていた視聴者参加型のクイズ番組では、比較的古くから敗者復活システムが存在していた。ただ、このシステムが一般に広く認知されるようになったのは、日本テレビ系の『アメリカ横断ウルトラクイズ』が敗者復活システムを大々的に取り入れ、復活者に「敗者復活」と書かれた目立つ襷や鉢巻を着用させた事からである。同番組での敗者復活戦は主に残り人数が多い序盤戦に行われることが多く、第3回と第15回を除き毎回敗者復活戦が行われていた。同番組では敗者復活者が優勝したことも何回かあった。現在では、クイズ番組だけでなく、『M-1グランプリ』(2002年から)や『R-1ぐらんぷり』(2009、2010年)などの演芸技能コンペ形式のイベント番組でも取り入れられている。レスリングやテコンドーでは決勝に進出した選手に敗れた選手が敗者復活戦に進む。ビーチバレーJBVツアーでは導入されている。オリンピック自転車競技などのケイリンでは1回戦敗者復活戦がある。オールスター競輪ではかつて、敗者復活戦(1次での敗退選手を対象)を導入していた年もあった。オートレースのGIIさざんかカップ(船橋)は、2006年の「東西対抗戦」で敗者復活戦を導入した。競馬、スキー・ワールドカップの様なシーズンを通しての競技体系が確立されているスポーツの場合、際立って強い存在が登場しても、前哨戦での負傷や参加資格の都合などの事情から最も重要な競技大会や競走に参加できなかったり、参加資格や年齢制限の問題の場合には、最強クラスの者がいわゆる「裏街道」の路線を歩まざるを得ず、時にはそちら側で連戦連勝の状況となる事も見受けられる。また、オリンピックなどでも同様の問題により、直近の前哨戦となる世界クラスの国際大会の優勝者が不参加となる事が見られる。この様な場合、本来は世界最高や世代最強などの存在を決するべき位置づけである大きな競技大会やレースが、その最強と目される存在に敗れた者たち同士を中心軸とした、ある意味で主役不在の、実質的には『ナンバー2を決める戦い』と見なされてしまい、戦前から盛り上がりに欠けてしまう事が見られる。この様な状況を指して主にマスコミなどが揶揄的に『敗者復活戦』と表現する事がある。このパターンで敗者復活戦という言葉が使用がされたケースとして、以下の様なケースが知られている。中央競馬のクラシック競走に、当時の規則が壁となって出走できなかった持込馬マルゼンスキーの前に霞んでしまった1977年クラシック三冠路線、同じく地方競馬に最初入厩した為にクラシック登録が無かった事からクラシック競走に出走できず、クラシックの裏側で連勝街道を歩んだオグリキャップの影に泣いた1988年クラシック三冠路線などで、「敗者復活戦」という表現がスポーツ新聞などで用いられた。2006年のトリノオリンピックにおけるフィギュアスケート女子の競技では、最大の前哨戦と見なされていた2005/2006 ISUグランプリファイナルの覇者である浅田真央が年齢制限によって参加資格を得られず不参加となった事から、マスコミによる戦前の下馬評は「グランプリファイナルで浅田に敗れた者たちによる敗者復活戦」というものが主流で、「誰が金メダルを取ろうと所詮は浅田の2番手」という論調も珍しくなかった。ただし、結果としてグランプリファイナルには参加すらできなかった日本人選手の荒川静香が優勝した事もあって、以降の日本のマスコミにおいては、この様な「敗者復活戦」という下馬評そのものが「最初から無かったこと」にされている。

出典:wikipedia

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