


一ノ宮村(いちのみやむら)とは、1951年(昭和26年)から1954年(同29年)まで石川県に存在した村である。「一ノ宮」の名は加賀一ノ宮である白山比め神社にちなむ。一ノ宮村は以下の5つの集落からなり、1889年の町村制の施行により誕生した河内村に属していた。旧河内村は直海谷川と手取川の合流点にあり、逆Y字型の3辺に集落が集まっていた。すなわち、「直海谷(のみだに・現在の口直海 - 内尾)」「三箇(さんか・現在の吉岡・江津・福岡)」とのちに一ノ宮村となる「中島以北」の3地区である。この3地区は、産業構造の違いもあって地区意識が強かったが、終戦まではそれなりに仲良く暮らしていた。しかし終戦後、民主化に伴い教育問題・農協問題などで直海谷・三箇と中島以北がきびしく対立するようになり、ついに1951年、中島以北の分村が村議会の全員一致で可決され、同年4月1日をもって一ノ宮村が誕生することとなった。1953年、町村合併促進法が成立し、これに基づき県が作成した「町村合併基本計画」により、旧鶴来町・林村・蔵山村・一ノ宮村の合併が示された。のちに舘畑村もこれに合流し、翌54年11月1日に新生「鶴来町」として発足。これにより一ノ宮村はわずか2年7ヶ月の短い歴史を閉じた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。