廓詞(くるわことば)は、江戸時代の遊郭で遊女が使った言葉・言葉遣い。里詞(さとことば)、花魁詞(おいらんことば)、ありんす詞(ありんすことば)などともいった。「ありんす」は「あります」の音変化で新吉原の遊女が用いた。「なんだか、ご法事にあふやうでありんす」(黄表紙『無益委記』)などと出身を分からなくするために使われ、新吉原は「ありんす国」とも呼ばれた。江戸吉原の廓詞の起源については、『北女閭起原』では、「ここなる里言葉は、如何なる遠国より来れる女にても、この詞を使ふ時は鄙の訛抜けて、古くより居慣れたる遊女と同じ様に聞ゆるなり。さればこの意味を考へていひ習はせしことなりとぞ」といい、『江戸花街沿革誌』によれば、「元吉原遊女の言葉を見るに、その頃侠客社会に行はれたる六方詞とやや相似たるが如し」、「その後侠名廃るると共にかくの如き野朴の言葉は地を払つて後世の里言葉と称するものを生じたり」という。元吉原時代からの最もひなびた廓詞は、「よんできろ」(呼んでこい)、「はやくうつぱしろ」(急げ)、「いつてこよ」(行つてくる)、「あよびやれ」(ありき)、「ふつこぼす」(こぼす)、「けちなこと」(悪いこと)、「こうしろ」(さうせよ)、「うなさるる」(おそはるる)、「むしがいたい」(腹が痛い)、「よしやれ」(しやんな)、「こそつばい」(こそばゆい)、などであり、その頃の吉原言葉で作られた歌に、「おさらばえ、のしけおさうり、こわせうし、そふさこうさは、おつかないかな」「そふすべい、こふすべいまた、さつちやのはて、ふていことかな、やつちやなりけり」などがあり、これがしだいに洗練されていった。その変遷を示せば以下のとおりである。明和頃まで「ゆきなんせ」、「きなんせ」と言ったのが安永に「きなんし」、天明に「おいでなんし」となり、化政に「おいでなんしェ」、「きなんしェ」となり、「おざんす」、「ざんす」は「おざりいす」、「おざりんす」などと変じた。「ん」の音便を用いることが吉原言葉の特徴で、式亭三馬は『嘘字尽』でオイランダ国またはアリンス国の語であるなどと戯れたが、。
出典:wikipedia
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