


函館市交通局400形電車(はこだてしこうつうきょく400かたでんしゃ)とは、函館市交通局(現・函館市企業局交通部、函館市電)が帝国電力時代の1940年に導入した路面電車車両である。1934年(昭和9年)の函館大火で焼失した大型ボギー車50形の代替車として、帝国電力時代の1940年(昭和15年)に京王電気軌道(現在、京王電鉄京王線)より木造高床車である23形を6両購入し、401 - 406としたものである。なお、合計44両を数えた京王23形は、函館のほか広島瓦斯電気や城東電気軌道(後の東京都電の一部分)、多摩湖鉄道(現、西武多摩湖線)、それに中国大陸の事業者にも譲渡された。401:京王52号 大正12年 日車402:京王47号 大正12年 枝光403:京王59号 大正14年 雨宮404:京王53号 大正13年 日車405:京王54号 大正11年 枝光406:京王45号 大正12年 枝光京王電軌時代には集電装置をトロリーポールから菱形パンタグラフへの換装が行われたが、函館入りに当たっては複式架線であったため集電装置をトロリーポールへの換装が行われたほか、昭和20年代に行われた単式架線化に伴いビューゲルへ換装された。その他、細かいところでは救助網が廃止され排障器が取り付けられ、屋根上の明かり取り窓が埋められるなどの改造が施されたが車体自体はほぼ京王電軌時代の姿を留めていた。戦前の塗装に関しては資料が少ないが、戦後の塗装に関しては500形と同様の上半部マンチュアサンドライト(=ベージュ)、下半部マジュルカブルー(=ダークブルー)とされた。従来は収容力の劣る単車ばかりでの運行であったため、就役開始後、1948年に500形が導入されるまで唯一のボギー車として重宝され、1950年には6両とも車体再整備を受け運用された。車体再整備は受けたものの、中古車かつ木造車体であったため耐用年数そのものが短く、600形や700形といった大型ボギー車が登場するにつれ次第に予備車となり、1961年に全車廃車された。405号が1970年まで駒場車庫内で保存展示されていたが老朽化のため解体され、現存車はない。
出典:wikipedia
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