ミニエー銃(ミニエーじゅう、Minié rifle)とは、前装式ライフル歩兵銃の一種である。1849年にフランス陸軍のクロード・エティエンヌ・ミニエー()大尉によって開発された。本来滑腔砲であるマスケット銃にライフリングを刻みこんだもので、“Rifled Musket”とも呼ばれる。従来使用されていたゲベール銃(マスケット銃の一種)の銃身に改修を施す方法で製造された。ミニエー弾と呼ばれる独特の弾薬を使用した。弾丸が充分な回転を持ち弾丸周囲からのガス漏れが防止されたため、飛距離と命中精度が飛躍的に向上した。また装弾が容易となり連射能力も向上した。ミニエー銃の弾丸(ミニエー弾)はドングリ型(椎の実型)の鉛弾(プリチェット弾)で、弾丸の円周には溝(タミシエ・グルーヴ)が3条切られて凹凸があり、この凹部にはグリス状の脂を付着させていた。底部はスカート状に窪んでおり、窪みはコルクなどで埋められている。発射されるまでのミニエー銃の弾丸は銃身の内径より小さい寸法であるために、ヤーゲル銃のような銃口から弾丸を押し込む際の労力は少ない。発射時の圧力で押し込まれたコルクがスカートを外側に膨張させると、弾丸周囲の溝の凸部は銃身内のライフルに食い込みながら密着する。この事で圧力の漏れを無くし、ライフルによる回転を弾頭に与える事に成功している。 ミニエー銃は出現当時としては桁外れに強力な銃器であり、エンフィールド銃を例に取れば有効射程は一挙に300ヤードとマスケット銃の3〜6倍に延長され、最大射程は1000ヤード(これは当時の砲の射程にあたる)。150年近く経った骨董品のエンフィールド銃を使ったベンチレスト射撃での集弾結果によれば、100ヤードで2インチという結果が出ている。これはマスケット銃の50ヤードで5インチという結果より、3倍+α以上の高い集弾性を示すものである(仮に新品の、ライフリングが傷んでいない銃を使えば、もっと良い精度が出る可能性がある)。南北戦争や戊辰戦争で使用された、ミニエー弾(プリチェット弾の一種)ではないプリチェット弾には、円周に溝(タミシエ・グルーヴ)が切られていない種類も存在した。江戸幕府は幕末の元治元年(1864年)にオランダ製ミニエー銃を採用した。しかし当時は南北戦争が終結直後であったため、アメリカから余剰武器のエンフィールド銃が約5万挺も輸入され同時に幕軍に配備されたほか、佐幕派・倒幕派双方の諸藩も制式小銃として購入・運用した。戊辰戦争では幕軍も新政府軍も主力はエンフィールド銃で、戦跡から出てくるのはほとんどがプリチェット弾である。箱館戦争では、新政府軍の装備するスナイドル銃と連発式のスペンサー銃は全軍の5%にも満たなかった。箱館政府軍が武装解除した際に引き渡された装備の内訳は、エンフィールド銃(二ツバンド三ツバンド)1,600挺に対しスナイドル銃(元込め銃)107挺だった。幕府は本銃の配備と同時に、イギリスから同銃の操作・運用に関する資料を輸入し、当時幕府翻訳方であった福沢諭吉に翻訳させた。この操作マニュアルは「雷銃操法」と題され、のちに「福沢全集」に収録された。幕末に坂本龍馬がミニエー銃400丁を買い付けていろは丸に乗せて運搬中に紀州藩の船と衝突し沈没したと主張したが、近年行われたいろは丸の調査ではミニエー銃は見つかっていない。
出典:wikipedia
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