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朽木藩

朽木藩(くっきはん)とは、近江国高島郡(その後の滋賀県高島郡朽木村、現在の高島市朽木)に存在した藩。藩庁は朽木谷城(朽木陣屋)。朽木氏は朽木谷城を本拠として代々室町幕府奉公衆を務めた。朽木元綱も足利義輝・義昭に仕え、外祖父に公卿飛鳥井雅綱を持つなど名門の血を継いだ。織田信長が浅井長政の裏切りで危機に陥ったときに京都への脱出を助け、その後、織田信長・豊臣秀吉に仕えて2万石を有した。元綱は関ヶ原の戦いでは当初は西軍につくが、主戦場で小早川秀秋に同調して東軍に寝返る。だが、徳川家康はその挙動に不信感を抱き本領の近江朽木は安堵したものの、その総石高は9550石に留まり、大名の資格を失った。この時点で豊臣政権における朽木藩は消滅する。その後、朽木氏は交代寄合として遇されて、独自の陣屋を持つことを認められて大名に準じる扱いを受けた。元綱没後、長男宣綱が6470石を与えられ、残りは弟2人に分知された。末弟の稙綱が徳川家光の寵愛を受けて、寛永13年8月13日(1636年9月12日)に加増を受けて1万石の大名となる。その後、正保4年12月24日(1648年9月12日)に下野国鹿沼などを与えられて鹿沼城を居城と定めた事で鹿沼藩が成立するが、それ以前については旗本時代以来の本拠が朽木にあったことから、その大名取立てから鹿沼領有までの11年間は江戸幕府における朽木藩が存在したとされている。なお、交代寄合としての宗家(朽木宣綱の子孫)の領域を指して特に「朽木藩」と呼ぶ例や、稙綱の子孫が治めた土浦藩や福知山藩などを指して「朽木藩」と呼ぶ例もある。

出典:wikipedia

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