エイシンニーザンとは日本の元競走馬である。2008年阪神スプリングジャンプ優勝馬。馬名の由来は冠名+新山(山の名前)。2004年12月25日にデビュー。翌年には4戦目から2連勝したのち、若葉ステークスに挑戦。しかし中団から伸びきれず12着に惨敗した。次戦は、ベンジャミンステークスで、ここでは5着。プリンシパルステークスでは後の海外G1であるシンガポール航空インターナショナルカップを制すことになるシャドウゲイトを押さえて堂々の勝利を挙げた。そして満を持して東京優駿に参戦するが、ここではディープインパクトを始めとするライバル達の厚い壁に阻まれ7着にとどまる。秋に神戸新聞杯に参戦するが12着に惨敗。次戦のオパールステークスでは1番人気に押されて2着に入ったものの、その後しばらく不振が続く。翌年、春にメトロポリタンステークスで2着に入るが、結局夏になってオープンから1000万以下のクラスに降級することに。8月に4勝目をマークし、新潟記念、朝日チャレンジカップにも参戦するなどしたが、結局準オープンの常連に甘んじてしまうことになる。2007年11月の古都ステークス12着を最後に、2008年、障害競走で始動。まず初戦は平地オープン馬エリモマキシムなどを押さえて勝利を挙げる。続く淀ジャンプステークスでは、序盤からハナに立ち、道中でチャクラに先頭を譲るなどして幾分ポジションを下げたが、終盤に巻き返して2連勝。騎乗していた西谷誠から「10年に1度の障害馬」と言わしめるほどの抜群の飛越の上手さと、ソツなく平地力を生かして抜け出す競馬スタイルを持っている。さらに続いて障害競走の重賞である阪神スプリングジャンプに出走すると、1番人気に支持され、障害重賞5勝のコウエイトライなどを破って見事に勝利し、初重賞勝利をあげた。そしてその勢いに乗って中山グランドジャンプに1番人気で出走。しかしここまで騎乗していた西谷誠がマルカラスカルに騎乗したため、白浜雄造に乗り変わっての出走。結果はマルカラスカルに敗れ5着だった。その後、半年の休養を経て、久々の平地競走となった古都ステークスに出走したが、14着に終わった。その後、障害競走に戻り京都ハイジャンプに出走、3着に入った。続く中山大障害では熊沢重文に乗り変わって出走したが、13着と完走馬中最低着順に終わった。2009年は連覇がかかった阪神スプリングジャンプから始動したが、6号障害で落馬、競走中止となった。この年は1戦したのみで休養に入った。2010年は8月の新潟ジャンプステークスで復帰したが終始後方のまま10着、続く阪神ジャンプステークスでも10着と惨敗した。そして10月3日付けでJRA競走馬登録を抹消され現役を引退、京都産業大学にて乗馬となる。
出典:wikipedia
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