


今泉城は富山県富山市今泉に在った日本の城。南北に伸びる帯状の微高地に築かれた平城。『今泉城古図』によると東西三十三間(約60m)、南北五十六間(約100m)。単郭でその外側に堀を巡らした、やや楕円形に近い形状であった。また城の周囲は沼地や湿地帯となっており、天然の要害であった(以上『案内板』より抜粋)という。飛騨街道や神通川が近くを通っており飛騨国、越中国間の陸運、水運を押さえる目的も有していたと思われる。その後今泉城は斎藤兄弟の管轄下に置かれたと云う(『案内板』より抜粋)。が、天正6年12月に「椎名駿河守」(景直か)なる者が上杉方から織田方へと寝返って、その見返りとして信長より越中国太田保を賜っており(『織田信長朱印状』)、彼が今泉城へ入った可能性もある。いずれにせよこの後今泉城の名が史料では見えなくなる為、暫くして廃城になったものと思われる。日枝神社、病院施設が建ち、往時を偲ぶ事は出来ない。城跡の正確な場所の特定も為されておらず、今後の調査に期待するより他に無い。神社の片隅に立派な石碑と案内板が建つのみである。
出典:wikipedia
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