大峪城(おおがけじょう)は富山県富山市五福にあった日本の城。伊賀城、大掛城、大懸城ともいう。なお伊賀城の呼称はこの城の守将であった片山「伊賀守」延高にちなむ。『越中冨山大カケ古城図』や『大峪之古城分間之図』によると、井田川に面した(現在は流れを変えており、面してはいない)平城。主郭は一辺が38間の正方形であり、その南西と南東の隅には櫓が建てられている。堀を挟んで東には面積にして主郭の半分程度の長方形の郭があり、その郭の北側には入り込んだ堀によって虎口が形成されており、これらを堀で囲んでいる。さらにこれらを含む広範を堀で囲んだ総構えを有していた。ちなみに、前述の全ての堀は井田川から水を引き込んだ水堀であった。「案内板」によれば、平成元年(1989年)に行われた発掘調査によって最大幅14m、最深約3.5mの堀跡と主郭へ続く土橋が確認されている。また「城割」「城ノ下割」「西ノ輪割」などの小字名が城の名残を示しており、また「大工町」の小字名から周囲に城下町の存在が推定されるという。延高の後、大峪城には代官が置かれたが、その詳しい時期は不明。いずれにせよ、関ヶ原の戦い前後までには廃城となっていたと思われる。主郭跡はそのまま富山市立五福小学校になっている。小学校の敷地が周囲より一段高くなっていたり、所々に土塁の痕跡が見受けられたりする等、かすかではあるが往時を窺い知ることができる。校庭の脇には案内板が建てられている。
出典:wikipedia
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