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小林雅幸

小林 雅幸(こばやし まさゆき、1974年4月4日 - )は、新潟県出身の日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。新潟県立十日町高等学校、早稲田大学卒業。スバル所属。身長174.5cm体重60kg。新潟県立十日町高等学校時代は、1992年12月の全国高等学校駅伝競走大会(京都・都大路)で、各校のエースが集う花の1区(10.0km)29分55秒で区間賞を獲得するなど活躍した。卒業後早稲田大学に進学。早稲田大学競走部時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会(箱根駅伝)に1年次(1994年)から出場した。当時の早稲田大学は、武井隆次・櫛部静二・花田勝彦(当時4年)、小林正幹(当時3年)、渡辺康幸(当時2年)ら学生長距離界のエースを何人も擁しており、優秀な先輩や練習環境に恵まれメキメキと力をつけた。1年時は3区(21.5km)を走り、区間4位の1時間4分41秒と鮮烈なデビューとまではいかず、優勝も山梨学院大学に奪われた。しかし、2年時(1995年)の箱根駅伝では、準エース区間の4区(21.0km)にエントリーされ1時間1分35秒の区間新記録を達成。2区渡辺、3区小林正、4区小林雅で3区間連続区間新記録を達成し、往路優勝、総合2位に貢献した。3年時(1996年)の箱根駅伝では、初めて5区の山登り(20.7km)に挑戦し、区間新記録となる1時間10分27秒で走り切った。(この時のテレビのゲスト解説は、当時の区間記録保持者で山登りのスペシャリストと言われた奈良修(大東文化大学卒)で、「できれば自分の記録は残ってほしいですが、小林君に破られれば本望です」と話していた。ゴール後の奈良の言葉は「複雑です。」だった。)。4年時(1997年)の箱根駅伝では、渡辺が卒業し、名実ともに早稲田のエースになったが、体調不良のため花の2区を断念。それでも7区(21.3km)を当時歴代2位の記録1時間3分13秒で走り、区間賞を獲得した。大学時代、学生三大駅伝において10回区間賞を獲得したが、これはジョセフ・オツオリと並んで、歴代1位である。大学卒業後は三井海上、スバルで活躍、1999年には全日本実業団対抗選手権10000mで優勝を果たした。

出典:wikipedia

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