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1971年大韓民国大統領選挙

1971年大韓民国大統領選挙は、第三共和国時代の大韓民国で第7代大韓民国大統領を選出するために1971年4月27日に行なわれた大統領選挙である。なお、韓国では選挙の回数を「第○回」ではなく「第○代」と数えるのが一般的である。大統領の任期4年が満了したことに伴って実施された選挙である。1969年に3選禁止規定(1962年に制定された第三共和国憲法では大統領の再選は1回のみ容認)を撤廃するため憲法を半ば強引な手段で改憲(3選改憲)した後に行なわれた本大統領選挙は、与党民主共和党の大統領候補朴正煕と、野党新民党の大統領候補金大中による事実上の一騎討ちとなった。1970年9月の新民党全党大会で金泳三と李哲承を抑えて大統領候補に指名された金大中は、郷土予備軍廃止・労使共同委員会の創設・非政治的南北交流・四大国保障案・3段階統一案などの革新的な主張を選挙公約に掲げ、朴正熙の安保論と経済成長の虚構性を正面から攻撃し、予想外の国民の支持を集めた。対する朴正熙は「(大統領選出馬は)今回が最後」と繰り返し強調して選挙戦を戦った。選挙結果は、朴正熙が有効得票の53.2%を獲得、金大中に95万票余の差をつけて勝利したが、不正や不法、官憲選挙と野党や在野から非難された。敗れた金大中は45.3%の得票だったが、首都・ソウルでは59%の得票で40%の朴正熙を上回り、全都市部の合計票でも朴正熙に勝利した。第6代選挙で顕在化し始めた地方、特に湖南(全羅道)と嶺南(慶尚道)地方の票の偏在が進み、金大中は全羅北道で61.5%、全羅南道は62.8%、朴正熙は慶尚北道で75.6%、慶尚南道で73.4%を得ている。この選挙で予想外に苦戦し、直後に行われた国会議員総選挙で野党新民党が躍進し憲法改正阻止線の三分の一を上回る議席を単独確保したことで、正常な方法による再度の政権担当は不可能と判断した朴正熙は、1972年10月に十月維新を断行して維新体制を発足させた。

出典:wikipedia

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