ネクセン・ヒーローズ()は、韓国のプロ野球チームである。縁故地(ホームタウン)はソウル特別市。2008年に創設された。韓国の民間タバコ会社であるウリ・タバコが3年300億ウォンで命名権を取得し、2008年から3年間は「ウリ・ヒーローズ」の名で活動することになった。しかし、シーズン中ウリ・タバコがメインスポンサーの権利を放棄すると宣言し、同年8月下旬、ウリ・タバコの要請により、チーム名から「ウリ」の名を外し、他の冠スポンサーを探すまで「ヒーローズ」の名称に変更。2010年2月8日、ネクセンタイヤと2010年から2年間のメインスポンサー契約を結び、チーム名を「ネクセン・ヒーローズ」に変更(その後、2012年から2年間、2014年から2年間、2016年から3年間スポンサー契約を延長)。しかし、球団の母企業の名称は「株式会社ソウルヒーローズ」()である。2014年から2軍チームの名称が華城ヒーローズ(ファソン・ヒーローズ、、)に変更した。したがって、ヒーローズは1軍と2軍の名称を異にする最初の韓国野球チームになった。現代ユニコーンズは1998年以降4度の韓国シリーズ優勝の華麗な実績を誇っていたが、親会社の現代グループはグループの分割相続による規模の縮小および経営不振に苦しんで球団を経営する余力を失いつつあった。それでも、当時のオーナーであった鄭夢憲(チョン・モンホン)現代グループ会長が球団経営の意欲を持って球団を保持し続けた。しかし、2003年8月鄭夢憲オーナーが経営不振のプレッシャーに耐えきれず投身自殺したことで、グループ内部で球団を顧みるものが無くなり、系列分離された元現代グループ所属の傍系企業の支援で延命する状態に陥った。そこで、現代グループは2005年5月、球団売却交渉を韓国野球委員会(KBO)に要請した。しかし、農協との交渉が明らかになった2007年1月以降3度の売却交渉に失敗して、そのまま球団の空中分解および韓国プロ野球のリーグ縮小に発展しかねない事態に陥った。そこに、2008年1月30日、外資系投資会社のセンテニアルインベストメントが、KBOに加入金120億ウォンを支払い、スポンサーを募集し球団名を売却するネーミングライツ方式によって、現代ユニコーンズに代わる新球団を創設することとなった。選手構成の面から見て、事実上現代ユニコーンズを引き受けているが、ユニコーンズの親会社であるハイニックス半導体に支払う売却代金を省くためと、同時に2007年KBOが資金難に陥っていた現代に融資した131億ウォンの負債を返済する義務を負わずに済ませるため、一旦同球団を解散させてから新球団を設立する形を取った。これで、公式的に球団そのものは継承されていないことになり、三美スーパースターズ時代から累積された現代ユニコーンズの各種球団通算記録も、2007年シーズン限りで現代の解散とともに途切れることになった。現代の選手の保有権は既存球団の合意によって新球団に譲渡されることとなって、これによって新球団は現代所属選手への優先交渉権を確保した。しかし、2008年2月4日にセンテニアル社はメインスポンサー決定より先に、新球団の新監督にLGツインズなどで監督経験のある李廣煥(イ・グァンファン)やその他のコーチを任命し、危機的状況を選手とともに過ごした現代の金始眞(キム・シジン)監督は1年余りで監督の座を追われた。金始眞監督には新球団のコーチの座を用意していたが、彼に従ったユニコーンズ出身のコーチ陣は受け入れられないことになったので、金始眞もコーチ職就任を辞退した。また、センテニアル社は現代の選手、コーチ陣、フロントの職員などの全員雇用を保証しなかったため、現代の選手は新球団との契約を拒否する姿勢を見せた。だが、韓国野球委員会の仲裁などにより現代の選手は全員新球団で雇用されることとなったため、2月14日から李廣煥監督らの指揮の下、海外キャンプが中止となった元現代の選手たちは済州島でキャンプに入った。また現代のコーチ陣も8名が新球団へ移籍したが、金始眞元監督はKBOの役職に就いた。2月19日にはKBO理事会で正式にセンテニアル社の新球団加入が認められた。2月21日にはセンテニアル社が新球団のメインスポンサーが、韓国初の完全民間資本によるタバコ会社「ウリ・タバコ」になったと発表し、28日には新球団の名称が「ウリ・ヒーローズ」に決定した。ウリ・タバコはセンテニアル社と2008年から2010年までの3年間、総額300億ウォンでスポンサー契約を結んだ。これによってウリ・ヒーローズは2008年シーズンから、現代ユニコーンズに代わって韓国プロ野球に参加することとなった。本拠地はソウル市南西部の木洞野球場となった。財閥系の大企業が出資して球団を経営し、大幅な赤字が当然とされてきた従来の韓国プロ野球と違い、黒字経営を目指すため韓国プロスポーツ史上初となるネーミングライツによる経営方式が注目されている。しかし2008年6月末まで支払うべきだったKBOへの加入金120億ウォンの一部24億ウォンの支払いを先延ばししようとした。その背景としては、メインスポンサーのウリ・タバコが経営不振などによりスポンサー料を払わなかったことがある。そして同社は、球団の相次ぐトラブルが企業イメージ低下につながったとして、2008年7月上旬メインスポンサーの権利を放棄すると宣言し、その後加入金未払い騒動などにより企業イメージの低下が甚だしいため、KBOへ企業名の球団名への使用禁止を求めた。それを受けて翌8月下旬からチーム名は「ヒーローズ」となった。初年度となった2008年シーズンは、最終年度の2007年は6位だった現代をほぼそのまま受け継ぎさしたる補強もしなかったため、序盤のうちに上位争いから脱落しLGツインズと最下位争いを続け、7位に終わった。また2008年10月、現代ユニコーンズ最後の監督だった金始眞が新監督に就任し、巻き返しを図ることになった。一方で新メインスポンサーが見つからないため資金難は解消されず、翌11月主力投手の張洹三(チャン・ウォンサム)をサムスン・ライオンズへ、現金30億ウォンに無名の選手1名をつけてもらってトレードしようとした。だがこのトレードは他球団からの反対が強く、KBOによって規約違反であるとされ無効となった。2年目となった2009年シーズンは、終盤までポストシーズン進出をかけた4位争いに加わったが、最後は力尽き6位に終わった。ヒーローズは2009年12月末までの支払期限だったKBOへの加入金120億ウォンを完納することになっていた。だが同月に支払うことになっていた36億ウォンのうち、15億ウォンずつを以前から補償金を求めていたソウルを本拠地とする斗山とLGに直接入金し、KBOへは6億ウォンしか支払わなかった。またメインスポンサーが見つからないための資金難からか、主力外野手の李宅根(イ・テックン)を、無名選手と25億ウォンという多額の金銭でLGへトレードしようとしたが、KBOからの承認は保留とされた。12月30日、KBOは加入金未納の問題を解決し、李宅根、張洹三、李賢承(イ・ヒョンスン)の3名の主力選手が相手球団の選手と金銭と引き換えに、他球団へトレードされることも承認された。(このうち李宅根は2011年シーズンオフにフリーエージェントとなってヒーローズに復帰した)2010年2月、新メインスポンサーとして韓国3位のタイヤメーカーであるネクセンタイヤと2年間の契約を結び、チーム名は「ネクセン・ヒーローズ」に変更された。開幕前の3月には馬一英をハンファに、7月には黄載鈞をロッテにトレードするなど前年オフからの戦力流出に歯止めがかからず、ハンファとの最下位争いを繰り広げ、2010年は7位となった。2010年12月高源浚をロッテへ、2011年7月宋臣永、金聖賢をLGへトレードに出すなど体質は変わらず、2011年シーズンは球団史上初の最下位となった。2011年までとなっていたネクセンタイヤとのメインスポンサー契約は、2012年から2年間延長された。2012年より横浜DeNAベイスターズと業務提携を結び、1月、元メジャーリーガーの金炳賢と契約した。同年は前半戦こそ上位争いを続けたが後半失速したことで、シーズン途中の9月17日、金始眞監督の解任が発表され、残り試合は金性甲監督代行が指揮を執り、6位で終えた。2012年10月10日、廉京燁監督が就任した。2013年は公式戦3位で初めてポストシーズンへ進出したが、準プレーオフで斗山ベアーズに敗れた。2014年よりファームシステム構築・運営のノウハウや、セイバーメトリクスなどを用いた選手分析システムといった技術を学ぶためボストン・レッドソックスと戦略的パートナーシップを結んだ。レッドソックス初のアジア球団との提携である同年は初となる公式戦2位で終え、2年連続進出のポストシーズンはプレーオフから出場し、LGツインズに勝利し初めて韓国シリーズに進出したが、サムスン・ライオンズに敗れた。2015年は公式戦4位で、3年連続ポストシーズンに進出。5位SKワイバーンズとのワイルドカード決定戦に勝利するも、3位斗山ベアーズとの準プレーオフで敗退した。2016年は公式戦3位で、4年連続ポストシーズン進出を果たすも、準プレーオフでLGツインズに敗れ、廉京燁監督は辞任した。2016年から2017年の2年契約で、韓国初のドーム野球場・高尺スカイドーム(ソウル特別市九老区)を本拠地として利用する。2009年の海外春季キャンプから、日本・鹿児島市の鴨池球場やその周辺の野球場を利用するようになったが、2011年の海外春季キャンプはすべてアメリカ・フロリダ州で実施した。なお2011年は初めて海外で秋季キャンプを実施(日本・宮崎県日向市:大王谷野球場)。2012年の春季キャンプは、1月中旬から2月中旬までアメリカ・アリゾナ州サプライズで1次キャンプを実施後、2月下旬から3月上旬まで伊集院総合運動公園野球場(日置市)や鴨池球場(鹿児島市)など日本・鹿児島県で2次キャンプを実施した(2012~2015年秋季キャンプも鹿児島県で実施)。2013年以降の春季キャンプは2012年と同様第1次キャンプはアリゾナ州サプライズだが、第2次キャンプは日本・沖縄県の沖縄本島各地で実施し、韓国や日本のプロ野球チームと練習試合を行う。2016年春季キャンプまで同様の日程で実施されている。球団創設から2015年まで本拠地としていた木洞野球場では3塁側をホームベンチにしていたが、2016年からの本拠地・高尺スカイドームでは1塁側がホームベンチとなっている。2010年より2軍は全羅南道康津郡にある野球専用の合宿施設を利用してきたが、本拠地のソウル特別市から300km以上離れていたため、2014年より首都圏の京畿道華城市に専用球場を建設して移転した。(在籍:2008-2014年)(在籍:2008-2014年)(在籍:2014年)(在籍:2014年)(在籍:2010-2015年)(在籍:2010-2015年)(在籍:2011-2015年)(在籍:2015年)(在籍:2016年)(在籍:2015-2016年)
出典:wikipedia
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