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新月 (駆逐艦)

新月(にいづき/にひづき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の5番艦である。艦名は新月(しんげつ)の訓読みで、朔のあと初めて夕方に見える月をいう。第三水雷戦隊旗艦として輸送作戦に従事中、クラ湾夜戦にて撃沈された。秋月型の中で僅か3ヶ月強と最も短い生涯を遂げた艦であった。1939年(昭和14年)度計画(マル4計画)仮称108号艦。太平洋戦争開戦日の1941年(昭和16年)12月8日、三菱重工業長崎造船所で起工。1942年(昭和17年)5月15日、阿賀野型軽巡洋艦2番艦「能代」や島風型駆逐艦「島風」と共に『新月』の艦名が与えられた。同日附で秋月型駆逐艦として登録。6月29日に進水した。1943年(昭和18年)2月20日、日本海軍は金田清之中佐(睦月型駆逐艦8番艦長月および睦月型9番艦菊月駆逐艦長、白露型駆逐艦2番艦時雨駆逐艦長等を歴任。陽炎型駆逐艦5番艦早潮沈没時駆逐艦長)を、新月艤装員長に任命した。2月23日、長崎海軍監督官事務所に艤装員事務所を設置する。それから間もない3月31日、「新月」は竣工した。同日附で新月艤装員事務所を撤去。金田艤装員長も制式に新月駆逐艦長(初代)となった。同日附で横須賀鎮守府籍となる。第一艦隊附属。1943年(昭和18年)4月1日、天龍型軽巡洋艦2番艦「龍田」、駆逐艦4隻(新月、第6駆逐隊《電、雷、響》)という戦力で、新造艦の訓練を目的とする第十一水雷戦隊(司令官木村進少将・海軍兵学校40期。ミッドウェー海戦時、第三次ソロモン海戦時の第十戦隊司令官)が編成される。第6駆逐隊(電、雷、響)は北方部隊や南洋部隊に所属して、この時点では別行動である。「新月」は同隊に編入の上、瀬戸内海に回航。内海西部で、軽巡「龍田」と共に訓練に従事した。27日、僚艦「響」が呉に到着する。4月下旬、本艦は陽炎型駆逐艦13番艦「浜風」とともに航空戦艦に改装予定の伊勢型戦艦2番艦「日向」を佐世保まで護衛することになった。4月28日、3隻(日向、新月、浜風)は内海西部を出発。29日、佐世保到着。4月30日、夕雲型駆逐艦9番艦「玉波」が第十一水雷戦隊に編入される。5月上旬、本艦は新鋭軽巡「大淀」や第五十航空戦隊(鳳翔、龍鳳)と共に内海西部にあった。この頃、日本海軍の主力艦艇も順次内地に帰投しており、翔鶴型航空母艦2番艦「瑞鶴」は5月8日呉に到着、姉妹艦「翔鶴」は損傷修理を終えて呉で待機、「瑞鳳」は9日佐世保着、大和型戦艦1番艦「大和」は13日桂島泊地に到着していた。同時期(5月9日から14日まで)、「新月」は第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた。この間の5月10日、舞鶴海軍工廠で建造された島風型駆逐艦「島風」が第十一水雷戦隊に編入された。5月12日、アメリカ軍はアッツ島に来襲してアッツ島の戦いが生起する。5月14日付で、2隻(新月、最上)は機動部隊(指揮官小沢治三郎第三艦隊司令長官)に編入、小沢中将の指揮下に入った。内海西部で待機していた機動部隊(第一航空戦隊基幹)は5月21日までに横須賀に回航された。5月22日、第61駆逐隊の秋月型姉妹艦2隻(涼月、初月)も大和型戦艦2番艦「武蔵」等を護衛して横須賀に到着している。5月下旬、「新月」は連合艦隊主力艦艇(武蔵、瑞鶴、翔鶴、瑞鳳、飛鷹、金剛、榛名、阿賀野)等と共に、北方作戦(アリューシャン方面の戦い)に備えて横須賀で待機する。だが5月29日(報告30日)、アッツ島守備隊(指揮官山崎保代陸軍大佐)は玉砕。有力な米水上部隊の不在、燃料不足、守備隊玉砕という観点より、機動部隊の北方作戦参加は中止。各艦・各部隊は横須賀を経由して内海西部へ回航された。秋月型3隻(涼月、初月、新月)と第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)も、第一航空戦隊(瑞鶴、翔鶴、瑞鳳)と巡洋艦2隻(最上、大淀)を護衛して内海西部に移動した。5月30日(6月1日附)で、「新月」は第八艦隊(司令長官鮫島具重中将・海兵37期)に配属される。同時にラバウルへの早期進出を下令された。6月5日、秋月型6番艦「若月」が内海西部に到着、「新月」と合流した。当時の「新月」では人事異動があり、堀内康市中尉(新月水雷長)は横須賀鎮守府附。修理中の朝潮型駆逐艦3番艦「満潮」水雷長の石河秀夫中尉が新たな新月水雷長となる。新月機関長も本田仁一大尉から斎藤勇雄大尉(当時、夕雲型駆逐艦7番艦大波機関長)に交代した。6月16日、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、第三戦隊(金剛、榛名)、第七戦隊(熊野、鈴谷)、空母3隻(龍鳳、雲鷹、沖鷹)、軽巡五十鈴、駆逐艦部隊(第27駆逐隊《時雨、有明、夕暮》、第7駆逐隊《潮、曙、漣》、第16駆逐隊《雪風》、第17駆逐隊《浜風、谷風》、第24駆逐隊《涼風》、秋月型《新月》、夕雲型《清波》)という戦力で横須賀を出港、21日トラック泊地に到着した。6月23日、第七戦隊司令官西村祥治少将は5隻(熊野、鈴谷、新月、涼風、有明)をひきいてラバウルへの輸送任務を実施。25日にニューブリテン島ラバウル到着後、本艦は最前線に残り、4隻(熊野、鈴谷、涼風、有明)はトラック泊地に戻った。この頃、ムンダの占領を目指していたアメリカ軍は、ムンダ攻略に先立って約6000名の陸兵と海兵隊をニュージョージア諸島レンドバ島に上陸させ、同島を確保。日本軍の航空攻撃を撃退したアメリカ軍は早くも榴弾砲を設置し、ムンダの飛行場に対する砲撃を開始した。この事態を受けて第三水雷戦隊司令官(司令官秋山輝男少将・海兵41期)は「新月」に乗艦して将旗を掲げ、本艦は新しい第三水雷戦隊旗艦となった。増援部隊指揮官(三水戦司令官秋山輝男少将)は直率部隊(旗艦《新月》、第30駆逐隊《望月》、駆逐艦皐月、夕凪)を率いて6月30日9時30分ラバウルを出撃、先行部隊(第11駆逐隊《天霧、初雪》、第22駆逐隊《長月、水無月》、駆逐艦三日月)はブインを出撃し、レンドバ島沖にいると思われる船団の撃滅と、レンドバ島に上陸したアメリカ海兵隊への攻撃を策した。7月1日午前零時レンドバ島西方に到達したが、米艦艇の姿はなく帰投した。7月2日23時~3日午前1時、秋山司令官は突撃隊(新月、第11駆逐隊《天霧、初雪》、第22駆逐隊《長月、皐月》、第30駆逐隊《望月》)、陽動隊(軽巡《夕張》、駆逐艦《夕凪、三日月》)を率いてレンドバ島沖合に進出する。これまでの第三水雷戦隊旗艦だった「夕張」は陽動隊に配され、モノ島近海を行動した。突撃隊は2日夜半にレンドバ島沖に到達するも、魚雷艇の一群と交戦して目的を果たせず、アメリカ軍魚雷艇2隻を撃沈して作戦は中止された(陽動隊は7月3日朝ブイン帰投)。7月4日、コロンバンガラ島への輸送任務のため第一回輸送隊(指揮官金岡国三第22駆逐隊司令:第22駆逐隊《長月、皐月》、新月、夕凪)と、7月5日出撃予定の第二回輸送隊(第11駆逐隊《天霧、初雪》、第30駆逐隊《望月、三日月》)が編制され、第一回輸送隊はブインを出撃する。4日深夜、クラ湾に差し掛かったところで、ニュージョージア島バイロコに対して艦砲射撃中の第36.1任務群(ヴォールデン・L・エインスワース少将)を発見。輸送任務を断念し、第36.1任務群に対して魚雷攻撃を敢行(長月6本、新月4本、夕凪4本)、敵巡洋艦1隻・駆逐艦1隻撃沈を記録した。魚雷は駆逐艦ストロング ("USS Strong, DD-467") に命中し、ストロングは魚雷命中と陸上からの反撃で沈没した。7月4日のコロンバンガラ島への輸送作戦は中止されたが、アメリカ軍の攻勢を食い止めるため、間を置かずコロンバンガラ島への再度の輸送作戦が立てられた。秋山少将は作戦に第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将・海兵42期)などからの応援艦を加え、さらに元旗艦の「夕張」も参加させる予定だったが、同艦はショートランドに入泊の際、磁気機雷に触雷して作戦から除外された。支援隊(三水戦司令官《新月》、涼風《第24駆逐隊司令中原義一郎大佐》、谷風《第17駆逐隊》)・第一次輸送隊(望月、三日月、浜風)・第二次輸送隊(天霧、初雪、長月、皐月)という編制であった。7月5日17時35分、外南洋部隊増援部隊指揮官秋山輝男第三水雷戦隊司令官に率いられた支援隊はブインを出撃。コロンバンガラ島北方で輸送隊を分離後、付近海域の警戒を開始する。一方、前夜に一矢報いられた第36.1任務群はストロングの乗組員を救助してガダルカナル島沖に引き返したが、ウィリアム・ハルゼー大将から別の「東京急行」の出発を知らされクラ湾に急行した。 23時5分、「新月」はレーダーで左舷方向に敵艦隊と思しき艦影を探知し、左舷砲雷戦にて南下する。谷風水雷長によれば、当夜はスコールが激しかったという。23時18分、支援隊(新月、谷風、涼風)はUターンし、再びレーダーで米艦隊をとらえた。第36.1任務群も23時36分に任務群旗艦の軽巡ホノルル ("USS Honolulu, CL-48") がレーダーで複数の目標を探知した。エインスワース少将は、まず砲撃を行って混乱させてから雷撃を行う戦法を採った。23時46-48分、支援隊は右舷方向に巡洋艦を含む米艦隊を発見する。ちょうどスコールが晴れた頃だった。23時52分、秋山少将は指揮下の全駆逐艦に全軍集結を下令し、第36.1任務群に対して魚雷戦に持ち込もうとしていた。だが、攻撃は第36.1任務群に遅れをとった。23時56分、第36.1任務群のホノルル、ヘレナ ("USS Helena, CL-50") およびセントルイス ("USS St. Louis, CL-49")は6300mで射撃を開始、初弾から「新月」に15センチ砲弾を命中させた。「新月」では舵が故障し、火災が発生した。艦橋にも命中弾があり、反撃もしなかった。7月6日0時11分に「我速力26ノット」を報告。このあと西方へ漂流して消息を絶ち、「新月」は沈没と認定された。駆逐艦長金田清之中佐以下290名が戦死。秋山少将以下第三水雷戦隊司令部も全滅した。一方、米艦隊はレーダーに映った最も大きな目標(新月)だけを目標としたため、数の利を生かせなかった。第36.1任務群は「新月」に対して7分間も射撃を続行、00時3分に右反転制動を行ったときに日本艦隊(谷風、涼風)から発射された酸素魚雷が米艦隊に到達、ヘレナは真っ二つとなり轟沈した。それでも支援隊(谷風、涼風)に何発かの命中弾を与えて損傷を負わせた。また日本軍の輸送作戦そのものは成功したものの、第二次輸送隊の「長月」は座礁して行動不能となり、昼間の空襲で失われた。駆逐艦谷風戦闘詳報では、アメリカ軍のレーダーの脅威を訴え、またアメリカ軍巡洋艦の装備と能力を正当に評価。『肉薄しないのは精神力の不足』と批判せぬよう指摘している。第三水雷戦隊(外南洋増援部隊)は一時的に司令部不在となり、高雄型重巡洋艦3番艦「鳥海」艦長有賀幸作大佐(坊ノ岬沖海戦時の戦艦大和艦長)が臨時に増援部隊指揮官(第三水雷戦隊司令官)任務を代行した。また秋山少将(戦死認定。海軍中将に昇進)の後任として伊集院松治大佐(金剛型戦艦1番艦金剛艦長)が7月7日附で第三水雷戦隊司令官に補職。だが伊集院大佐の着任まで時間があったたこと(7月10日、旗艦川内に着任)、「鳥海」を増援部隊に割り振ったため、第八艦隊は臨時旗艦を陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」に指定した(鮫島長官の所在はブインの第一根拠地隊司令部の指揮所)。一連の経緯を受けて、古賀峯一連合艦隊長官は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将:旗艦神通)および第七戦隊(司令官西村祥治少将:旗艦熊野)を南東方面部隊に編入させ、コロンバンガラ島への輸送作戦従事を命じた。第二水雷戦隊は他部隊に所属する雪風・浜風等を一時的に編入して輸送作戦に臨んだが、7月12日-13日のコロンバンガラ島沖海戦で「神通」は沈没、伊崎少将および二水戦司令部は全滅した。このため7月20日附で第四水雷戦隊(司令官高間完少将:旗艦長良)を解隊し、高間少将を第二水雷戦隊司令官に任命。駆逐艦時雨以下四水戦戦力と二水戦残存部隊を合流させ、二水戦を再建することになった。また第24駆逐隊司令中原義一郎中佐は7月8日附で職務を解かれ、7月14日に軍令部でクラ湾夜戦および新月沈没時の状況を報告した。このあと中原中佐は夕雲型駆逐艦3隻(涼波、藤波、早波)で編成された第32駆逐隊司令に任命されている。同年9月10日、「新月」は秋月型駆逐艦、帝国駆逐艦籍より除籍された。二水戦旗艦「神通」と水上機母艦「日進」も本艦と同日附で除籍されている。

出典:wikipedia

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