延長引き分け再試合規定(えんちょうひきわけさいしあいきてい)とは、高校硬式野球における、日本高等学校野球連盟が定めた規定の一つである。現在、延長15回迄に同点により勝敗が決しなかった場合は、引き分けで試合打ち切りとし、後日「再試合」を行う決まりとなっている(又降雨など天災の理由により、延長15回まで進まずに同点引き分けのまま試合打ち切り、後日再試合を行うケースも有る)。高校野球の黎明期には試合を途中で打ち切るルールが存在せず、その結果1933年(昭和8年)の中京商対明石中延長25回試合などが生まれる結果となっていた。しかしその後も実に25年にわたって試合の延長回数が長くなった場合の、打ち切りに関するルールが設定されるには至らなかった。現在の延長引き分け再試合が設定されるきっかけとなったのは、1958年(昭和33年)、春季四国大会での板東英二の投球であった。この大会に徳島商業高校の投手として参加していた板東は、対高知商業戦で延長16回、翌日の対高松商業戦で延長25回をいずれも一人で完投、2日間で41イニングを投げた板東を見かねた高野連役員が本部に働きかけ、次のルールが制定された。「延長18回を終えて引き分けの場合はその時点で試合を終了し、後日再試合を行う。」板東は、この年の第40回全国高等学校野球選手権大会において、準々決勝の対魚津高校(富山)戦で延長18回引き分け再試合を演じ、奇しくもこの規定の初適用者ともなった。この「延長18回引き分け再試合」の規定は、以後42年にわたって適用され、数々の名勝負を生んできた。しかし、1998年(平成10年)夏の第80回全国高等学校野球選手権大会の準々決勝第一試合では、PL学園対横浜延長17回の試合が行われ、横浜高校の投手だった松坂大輔が、延長17回を一人で250球投げ続けた事が後に論議を呼んだ。2000年の第72回選抜高等学校野球大会から、延長戦が従来の18回制から15回制に短縮変更された。また、変更されたのは延長のイニング数だけでなく、決着の方法も再試合以外の方法が規定された。すなわち15回までに試合が決しなかった場合にはのどちらかを選択して上位進出チームを決定する、というものである。どちらを選択するかは(地方ごとの)主催連盟が決めることができる、とされているが、このうち抽選は「選抜高等学校野球大会ならびに全国高等学校野球選手権大会、同地方大会では適用しない」と明記されており、必ず後日再試合が行われる。例外として国民体育大会と、及び春季高校野球大会の一部の試合では「9回打ち切りで引き分けとし、その後抽選(クジ引き)制度を適用して勝敗を決定」とされている。再試合でもなお延長15回迄で同点引き分けとなり、試合が決着しなかった場合には、さらに「再再試合」が行われる。2003年(第85回記念大会)の全国高等学校野球選手権福井大会1回戦で、大野東対敦賀気比の試合で延長15回に規定により5-5で引き分けとなった。翌日の再試合でも延長15回に規定により3-3で引き分けとなり、雨天順延をはさんだ翌々日の再再試合で敦賀気比が6-1で大野東に勝利した。総イニング数39回、試合時間は8時間42分に及んだ。1941年(第27回大会)には、全国中等学校優勝野球台湾大会の嘉義農林対台北工でも再再試合が記録された。0-0のまま8回に雨天引き分けとなり、翌日も0-0のまま7回雨天引き分けとなった。その翌日には延長25回で嘉義農林が台北工を2-1で破った。総イニング数は40回に及んだ。
出典:wikipedia
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