ZARD(ザード)は、作詞・ボーカルを務めていた坂井泉水を中心とした日本の音楽ユニットである。「ZARD」の名称は後述の事情から坂井自身と同義に用いられる場合もある。坂井の逝去後は残された音源を元にアルバムの制作やフィルムコンサートなどがプロデューサーの長戸大幸を中心とする制作スタッフによって行われている。所属事務所は泉水(SENSUI)。所属レコード会社はビーイング。レーベルはB-Gram RECORDS。1990年代に女性ボーカルとしては最も多くのCD売上げ枚数を記録しており、シングルでは「負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」がミリオンセラーとなっている。また、アルバムでは9作が連続でミリオンを達成しており、史上最多記録である(オリコン調べ)。各メンバーの脱退時期は所属事務所から正式には公表されていない。以下のメンバーがかつてZARDのメンバーとして表記され、このメンバーでテレビ出演や学園祭ライブも行っていたが、その後メンバーとしてクレジットされているのは坂井のみとなっている。「ZARD」という名は「blizzard」、「hazard」、「wizard」といった単語から取ったと言われており、響きや語感が良いのが理由とされている。坂井泉水は「プロデューサーの長戸大幸がつけた」とファンクラブの会報で述べている。1992年2月6日放送分のABC『おはよう朝日です』にゲスト出演した坂井は「Zから始まるバンド名はハードな響きがあることで決まっていた」「ただ単に思いつきで(決めた)」と述べている。街頭でスカウトされてモデル活動をしていた坂井泉水が、テレビドラマ『結婚の理想と現実』の主題歌歌手として抜擢されてメジャーデビューする。デビュー直後のZARDは坂井のソロプロジェクトであり、まだ音楽制作に不慣れな坂井を長戸が傍でサポートしていた。2ndアルバム『もう探さない』からバックバンドの4人がクレジットされ、1993年2月前後までバックバンドのメンバーがついていた。1993年、6thシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。その3ヶ月後に、8thシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。この2曲を収録した4thアルバム『揺れる想い』が200万枚超の売上を記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格になった。この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得。1994年 - 1996年は、オリコンシングルチャート3位以内、アルバムチャート1位を維持しつつ、1996年、「マイ フレンド」が自身3枚目のミリオンセラーを達成。この間に発売されたオリジナルアルバム『OH MY LOVE』『forever you』『TODAY IS ANOTHER DAY』の3作が次々とミリオンセラーとなった。1997年は「Don't you see!」と「永遠」が、1998年には「運命のルーレット廻して」がオリコン1位を獲得する。1997年から1998年の間には全9枚のシングルを発売し、常にオリコン最高3位以内はキープしていた。アルバムもシングル同様にオリコン1位を獲得し、1997年に発売されたセレクションアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』は200万枚を突破する大ヒットとなった。1999年第1弾シングル「MIND GAMES」がオリコン1位を獲得。その後、「世界はきっと未来の中」「痛いくらい君があふれているよ」「この涙 星になれ」を発売。8thアルバム『永遠』は初登場1位を獲得しミリオンセラーとなり、その直後に初のベストアルバム『ZARD BEST The Single Collection 〜軌跡〜』『ZARD BEST 〜Request Memorial〜』を発売。オリコン集計で売上合計500万枚以上を記録し、オリコンの年間アーティストトータルセールス2位を獲得。また、ベストアルバム購入者から入場者を抽選する船上ライブを行った。2001年2月に9thアルバム『時間の翼』発売、オリジナルアルバム最後のオリコン1位を獲得。発売後、坂井泉水が体調不良になり、1年間活動を休止した。2002年、「ZARD第二章スタート」というキャッチフレーズをつけ、34thシングル「さわやかな君の気持ち」から活動再開。2003年、「明日を夢見て」「瞳閉じて」「もっと近くで君の横顔見ていたい」、翌年1月には10thアルバム『止まっていた時計が今動き出した』を発売。2005年4月にリリースされた両A面シングル「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」が、1999年リリースの「世界はきっと未来の中」以来約6年ぶりとなるオリコン最高位2位を獲得。同年6月にDVD『What a beautiful moment』を発表(発売月のオリコン月間チャート1位)。9月には11thアルバム『君とのDistance』を発売。2006年3月に2作連続となる両A面シングル「悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!」、5月に「ハートに火をつけて」を発売し、オリコンTOP10獲得数を歴代単独2位の「40」に伸ばした。同年10月25日に、15周年記念のベストアルバム『Golden Best 〜15th Anniversary〜』、活動15年間のPVを集めたDVD『ZARD Le Portfolio 1991-2006』、それまでに発表された坂井泉水のCDジャケットを集めた写真集を同時発売。オリコンアルバムチャート・DVDチャート(総合・音楽)共に初登場1位を獲得し二冠を達成した。その後、2007年秋を目途に2年ぶりのオリジナルアルバムと3年ぶりのライブツアーが計画されていた。しかし、2006年4月9日に東京都内で行われた「ハートに火をつけて」のPV撮影(生前最後の映像)直後の晩に体調が急変し救急搬送された。その後の検査で子宮頸癌が発覚し、2006年6月、坂井泉水は子宮頸癌により入院。手術後回復に向かいつつあったものの、2007年4月には肺への転移が発見され再度入退院を繰り返していた。同年5月26日に坂井は入院中の病院で散歩の帰りに階段から転落。後頭部を強打し、脳挫傷により5月27日に死去した(その階段は坂井が入院中、散歩の際によく休憩に立ち寄っていた場所だという)。2007年8月15日、坂井の追悼アルバムとして『Soffio di vento 〜Best of IZUMI SAKAI Selection〜』『Brezza di mare 〜dedicated to IZUMI SAKAI〜』の2枚が発売される。また同時発売の『きっと忘れない』という本で、ラストレコーディングソング「グロリアス マインド」の歌詞が掲載された。この曲は後に43rdシングルとして2007年12月12日に発売され、「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」以来のオリコン最高位2位を記録した。また2007年6月から公式サイトなどでファンによるリクエストアルバムの収録曲をアンケート募集した。集計を行う際、50万通もの多くの応募があったため、当初の発売予定から遅らせての発売となる。なお「負けないで」などの楽曲は死後の追悼ライブの音源が収録されている。さらにすでに発売されていた「グロリアス マインド」もリクエストがあったため収録となっている。このアルバムは『ZARD Request Best 〜beautiful memory〜』のタイトルで2008年1月23日に発売され、オリコン最高位1位を獲得した。2008年4月9日、44thシングルとして未発表曲と1stシングル「Good-bye My Loneliness」のカップリング曲のリアレンジバージョンを収録した両A面シングル「翼を広げて/愛は暗闇の中で」が発売された。同年5月28日、全44枚のシングルと特典DVDがセットになった『ZARD Premium Box 1991-2008 Complete Single Collection』が発売された。2009年5月27日、3回忌を迎えるにあたり、45thシングルとして2ndシングル「不思議ね…」のカップリング曲をリアレンジしたシングル「素直に言えなくて」が発売された。2015年12月31日にはパシフィコ横浜国立大ホールにて、フィルムコンサートとギャラリー展『ZARD 25th Anniversary Eve 〜Screen Harmony & Gallery〜』が開催。2016年2月10日、デビュー25周年を記念して、オールタイムベストアルバム『ZARD Forever Best 〜25th Anniversary〜』を発売。2004年に行われた初ライブ・ツアーのパンフレットによると、「ZARDは坂井泉水を中心としたユニット名」と書かれており、この時点での固定メンバーは坂井のみであるが、2ndアルバム『もう探さない』から5thシングル『IN MY ARMS TONIGHT』ではギター・町田、ベース・星、ドラム・道倉、キーボード・池澤の名前が表記されている。『もう探さない』のブックレットには他メンバーの写真も掲載されており、ZARDはバンド編成だった時期がある。ZARDがテレビ朝日『ミュージックステーション』に出演した時にタモリがこれまでのテレビ出演がなかった理由を質問された坂井は「デビューと同時に結成したバンドだったので、コンセプトが見えてから(公の場に)出たかった」と話していた。また、フジテレビ『SOUND ARENA』にZARDが出演した際、堺正章がZARDの編成を説明した時に「5人組のバンド」と紹介していた。1999年のベスト盤発売時に寄せられたメッセージの中では、1991年のデビューシングル「Good-bye My Loneliness」のPVのディレクターだった岩井俊二が、「ZARDは1人だった」と発言している。1992年10月16日に『ミュージックステーション』に出演して「IN MY ARMS TONIGHT」を演奏した際には星・道倉の姿がなく、坂井・町田・池澤・また、最後の音楽番組出演となった1993年2月5日の『ミュージックステーション』で「負けないで」を披露した際のドラムは黒瀬蛙一(ex.flow-war/1998年 - 2001年B'zのツアーサポートメンバー)だったことが、黒瀬本人の口からB'zの松本孝弘のラジオ番組にゲスト出演した際に語られている。町田・池澤の脱退は具体的な時期は不詳だが、「君がいない」の発売当時にTBS『COUNT DOWN TV』等でOAされていたPVには、坂井・町田・池澤がミーティングをしているカットが挿入されており、その存在が確認できるものの、以後発売されたシングルやアルバム曲のPVに彼らの姿を確認することはできない。また、1995年に発売された「Just believe in love」では表記はなかったものの、ギターは町田ではなく、編曲を担当した葉山たけしが弾いていると『J-Rock Magazine誌』1995年6月号で明言されている。1996年に発売されたアルバム 『TODAY IS ANOTHER DAY』以降は「Additional〜」という表記で、サポートメンバーの形でギター・葉山たけし、増崎孝司、ベース・明石昌夫、キーボード・小野塚晃、池田大介、サックス・勝田一樹らの名前が表記されている。坂井死去後の2007年5月30日、フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』に元メンバーとして町田がVTR出演。町田は坂井のことを「泉水ちゃん」、坂井からは「町田君」とそれぞれ呼び合っていたことを明かした後、「大人だったと思うことが多かった」「デビュー当時お金がなかった自分達のことまで心配してくれていた」「(お互いに変わって)また会えると思っていた」「(亡くなったことの)意味が分かんねぇよという感じ」と坂井のことを話していた。メディア露出が極端に少なく、ビーイングに特徴的な「テレビ等に出演しない」というスタイルを貫いた先駆者である(小松未歩及び初期の大黒摩季や倉木麻衣も該当)。デビュー当初はテレビ出演・ラジオ出演をしていたが、デビューから3年目にシングル「負けないで」で大ブレイクして以降はテレビ出演・ラジオ出演がほとんどなくなり、全盛期にメディア露出やライブを全くしなかったため、世間に露出をしないアーティストとして強く印象付けられることになった。ジャケット写真は正面写真が少なく、ソフトフォーカスの物がほとんどであったため、「歌手と写真で顔を出す人物が別人である」という都市伝説が生まれたこともあった。ほぼ全ての楽曲の作詞は坂井が担当している(例外として1stアルバム『Good-bye My Loneliness』に収録されている「恋女の憂鬱」と「女でいたい」の2曲の作詞は川島だりあが担当している)。また、「君がいない」と「Boy」に関してはクレジット上は坂井名義だが、栗林誠一郎の詞に坂井が手を加えたものである。ただし、「Boy」は歌い出しの部分を「Girl 今でも」から「Boy 今でも」に変えた以外は全く別の歌詞である。2ndシングル「不思議ね…」のカップリング「素直に言えなくて」、2ndアルバム『もう探さない』収録の「いつかは…」、16thシングル「サヨナラは今もこの胸に居ます」のカップリング「眠り」、42ndシングル「ハートに火をつけて」のカップリング「君へのブルース」の4曲は坂井自身の作詞作曲作品である。作曲・編曲はほとんど同じメンバーで行われており、作曲は1991年-1999年頃まで織田哲郎、栗林誠一郎、それ以降は徳永暁人、2003年以降はほとんどの曲を大野愛果が担当している。編曲は98年まで明石昌夫、池田大介、葉山たけしが務めており、それ以降は徳永暁人、99年は古井弘人(GARNET CROW)が中心的に務めていた。葉山たけしもビーイング脱退後、2004年以降外注で再び編曲を行っている。なお、1stシングル「Good-bye My Loneliness」のカップリング「愛は暗闇の中で」では、共同編曲として寺尾広と共にZARDがクレジットされている。上記以外にも、単発で多くのアーティストが作曲、編曲を行っている(TUBEの春畑道哉、PAMELAHの小澤正澄、元day after tomorrowで現ストロボの北野正人、GARNET CROWの中村由利・岡本仁志、など)。徳永暁人や大野愛果は、初めてZARDの作曲を手がけた当時はそれぞれデビューして間もない頃であったが、その後もZARDの多くの作曲を担当することになった(徳永は「永遠」、大野は「少女の頃に戻ったみたいに」)。ZARDの音楽性や楽曲の特徴にはファンや評者により諸説考えられるが次のように概説できよう。上述の通りZARDの楽曲はほぼ全てが外部作・編曲家の作った曲に坂井が詞を付ける形で作られるため、坂井の意見がスタッフを通じて間接的に伝えられることはあっても基本的には作・編曲家のセンスが左右する。ZARDの曲は大雑把にはバンドサウンドで、2番の後にエレキギター(サックスなど管楽器の時もある)による間奏が入り最後のサビに続くというビーイングの典型的な曲形態であるが、外部作家の交代や時代に合わせて次のように変化した。編曲は打ち込み主体であるが明石昌夫が自身のBBS(2009年1月28日付)で述べるように生ドラムをサンプリングするなどの工夫もされた。オリコン調べによる(2016年9月現在)。坂井泉水の死去をきっかけにZARDが社会に与えた影響を総括しようとする試みが一般のメディアの間でも見られるようになった。2007年6月18日の『クローズアップ現代』(NHK)では「時代を励ました歌」と題して特集を放送し、ZARDの音楽に励まされてきたファンの声を紹介した。この番組にゲスト出演した音楽評論家の富澤一誠は、岡林信康、吉田拓郎、尾崎豊といった日本のポピュラー音楽史の重要人物と比較対照しつつ、ZARDの音楽のあり方を“時代の伴走者”と規定した。年末には坂井の特集記事を組む全国紙もあった。亡くなる前はCDの売り上げ等のランキングが全て3桁であったが、亡くなった直後から全て1桁になり、あちこちの中古CDショップでは売り切れ続出、店舗によっては特設販売コーナーも設けられ、尾崎豊、マイケル・ジャクソン同様、亡くなってからファンになった、興味を持ち始めたという人も多かった。特に「負けないで」が高校野球の応援の演奏曲として頻繁に使われるようになり、2014年には全国400校で採用される英語の教科書でも掲載されることが決まった。1992年8月7日、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)にて音楽番組初出演を果たし、1993年2月5日の『ミュージックステーション』で「負けないで」を歌ったのが音楽番組への最後の出演となった。『ミュージックステーション』には計5回出演した。音楽番組には計7回出演し、全ての音楽番組でナチュラルメイクで登場した(他の音楽番組では1999年2月20日放送分の『COUNT DOWN TV』の『永遠』のアルバム紹介で、レコーディングの様子を収録した映像を流しながら、声のみのコメント出演をしたことはあった)。音楽番組以外のテレビ番組では、1992年2月6日の情報番組『おはよう朝日です』(朝日放送)でプロモーション活動の一環として眼鏡姿で出演している。2000年8月6日にスポーツ番組『サンデースポーツ』(NHK総合)、2003年7月8日にスポーツ番組『すぽると!』(フジテレビ系)、2004年6月9日にバラエティ番組『恋するハニカミスペシャル』(TBS系)などではタイアップ先の縁で顔出しの動画コメントで出演した。また、テレビアニメ『名探偵コナン』にも楽曲提供に関して何度か声のみのコメントで出演している。その後も何回かコメント出演をしている。作詞は全て坂井泉水が担当している。作詞提供作品については坂井泉水#作詞作品を参照。※ミュージック・ビデオの完全版は少なく、坂井の生前に公開されたほとんどの作品がサビだけであるため、ここでは1コーラス収録の完全版が存在する作品のみ挙げる。坂井の死後、追悼ライブなどにおいて、新たに完全版としてリメイクした作品もいくつか公開されている。なお、この撮影に関する状況の更なる詳細やPVに使われなかった部分の生前最後の映像の有無について公にされていない。2006年10月25日に初のビジュアル集DVD「ZARD Le Portfolio 1991-2006」を発売したが、前述の通りいわゆるPV集ではなく主にサビの部分の映像を使用した映像ダイジェスト集的な内容になっている。また、発売当時に放送されていた映像をそのまま収録しているのではなく、歌唱映像があるにも関わらず、静止画や歌詞テロップを加えた状態で新たに制作されたPVもある。また曲間がほとんどない状態で編集されている。正式なミュージック・ビデオ集と釘打っているのが10年後の2016年4月27日に発売された5枚組DVD『ZARD MUSIC VIDEO COLLECTION 〜25th ANNIVERSARY〜』であるが、こちらは初期の頃にリリースされた岩井俊二監督のミュージック・ビデオや2000年代にPVの製作があるものの、ビーイングスタッフの関係上、編集されているためフルサイズでの映像は収録されていない。その為かパッケージや公式サイトにも掲載されている通り、変則サイズ・ショートサイズと表記されている。またフルサイズで収録されているいくつかの映像は過去にこれまで開催された追悼ライブやフィルムコンサートのスクリーンにて上映されていたものを収録している。
出典:wikipedia
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