関西独立リーグ(かんさいどくりつリーグ)は、日本の近畿地方(関西)を活動地域としていたプロ野球独立リーグ。2009年発足。2010年よりKANDOK(カンドク)という愛称が付けられていた。2013年シーズンをもって事実上活動を停止した。リーグ発足当時は株式会社による運営であったが、初年度での運営会社の変更を経て、2011年以降は特定非営利活動法人(NPO)「和歌山野球振興協会・夢クラブ」が運営母体であった。四国アイランドリーグplus、ベースボール・チャレンジ・リーグに続く日本で3番目のプロ野球独立リーグであった。2009年に大阪市・神戸市・明石市・和歌山市に本拠を置く4球団で発足した。先行する2つのリーグとは異なり、ほぼすべてのチームが既にNPB球団が比較的近くに存在する大都市圏に属した。2008年3月、元プロ野球選手で四国アイランドリーグ創設者の石毛宏典らが以下の構想を発表した。設立時の最高顧問には石毛が就任し、リーグの運営母体は大阪市淀川区に本社を置く株式会社ステラ(代表取締役:中村明)であった。2008年6月に運営事務局が行った記者会見では、滋賀県(本拠地は皇子山球場を提案)にも元プロ野球選手の田中聡を代表とする設立準備室が設置され、初年度からの参入を目標に準備が進められることや、京都府でもリーグ参入の動きが出ていることも明らかにされた。9月末までに体制が整えば初年度より6チームで運営される予定と報じられたが、最終的には初年度は4チームでの運営となった。神戸チームを運営する「神戸ベースボール倶楽部」のオーナーには、地元でミネラルウォーターの製造販売業を営む広田和代が就任した。日本のプロ野球チームでは初の女性オーナーであった。2008年11月に紀州レンジャーズも含めた形でトライアウトを行い、その結果を基に11月16日にドラフト会議で各球団が希望選手を指名した。女性も受験可能で、神戸9クルーズが当時川崎北高2年の吉田えりを指名した。関西独立リーグ加盟チームによる1試合総当りリーグ戦。関西独立リーグ加盟チームに企業チームを加えたトーナメント戦。ホームスタジアムを中心に巡業する形で開催。ホームゲーム数はチームにより偏りがあった。なお、1つの球場で2試合を開催する形式(バレーボールのプレミアリーグに似た形式)を採用。ホームチームは2試合目に登場した。紀州レンジャーズ兵庫ブルーサンダーズ大阪ホークスドリーム神戸サンズ2009年度1チーム年間72試合中ホームゲーム数は原則として36試合(前後期とも18試合ずつ)であるが、後期は大会規定による順位確定後の未消化試合の打ち切りがあるため、その分差し引かれる。発足当時は前後期各36試合の2シーズン制であった。半期の優勝は勝率順で決定し、同率の場合は(1)得失点差(2)総得点数の順に優位な球団を優勝としていた。公式戦終了後に3試合制(2戦先勝)のリーグチャンピオンシップをおこない、年間優勝を決定した。発足当時は前後期で優勝チームが同じ場合はチャンピオンシップはおこなわず、そのまま年間優勝チームとなった。この点は先行する2つのリーグとは異なっていた。2009年は前後期とも大阪が優勝したため、チャンピオンシップの日程を利用して各球団選抜によるオールスターゲーム(大阪・和歌山選抜と神戸・明石選抜の対戦)が実施された。2010年は前後期とも日程が消化できず、順位確定後に以降の公式戦を打ち切ったため、チームによって開催試合数にばらつきが生じている(前期は35試合3チームと33試合1チーム、後期は30 - 33試合が各1チーム)。その後、2011年からはチャンピオンシップを5試合制(3戦先勝)に変更するとともに、前後期で優勝チームが同じ場合は年間勝率2位チームと対戦し、前後期優勝チームに1勝のアドバンテージを付ける方式が採用された。2012年は前後期優勝チーム(兵庫)と年間勝率2位チーム(06)の対戦となり、年間勝率2位チームが前後期優勝チームを下している。試合数は、2011年が前後期各24試合、2012年以降は各32試合となった。2013年の前期までは全試合を消化したが、2013年後期は兵庫対06の1試合が未消化となった。指名打者制を採用し、予告先発は実施しなかった。9回終了時に同点の場合は引き分けとし、延長戦はなかった。2009年の発足当時は、グランドチャンピオンシップへの参加も検討されていたが実現にはいたらず、2013年の活動停止まで不参加のままであった。1チーム20~25人程度で構成。選手はトライアウトで獲得していた。初年度はトライアウト後に「ドラフト会議」として公開の選手指名を行った。初年度は当初月給20万円を保障するとしていたが、経営難により遅配が起きたりカットが行われたりした。2010年度は月給として固定給8万円プラス出来高払いとなる方針であったが、経営難から韓国ヘチを除いて途中より全額カットとなった。また、初年度には球団の運営方針への反発から選手が出場をボイコットしたり、NPBの入団テストを受験しに行ったために出場選手が激減するような事態も起きた。いずれのケースでも監督代行やコーチが急遽選手登録をして出場している。他の独立リーグと同じく、外国人の選手も在籍していた。2011年には、神戸サンズに所属していたエディソン・バリオスがシーズン途中に福岡ソフトバンクホークスに移籍し、在籍外国人選手では初の(リーグの活動停止時点では唯一の)NPB入団者となった。プロ野球ドラフト会議での扱いは既存の2つの独立リーグと同じであった。指名者が出たのは2010年のドラフト会議だけである。なお、他の独立リーグに移籍したのちにドラフト指名を受けて入団した選手に、岸敬祐(2009年大阪ゴールドビリケーンズに所属、愛媛マンダリンパイレーツ移籍後の2010年に読売ジャイアンツより育成枠で指名)と矢島陽平(2012年神戸サンズに所属、福井ミラクルエレファンツを経て武蔵ヒートベアーズ移籍後の2015年に読売ジャイアンツより育成枠で指名)がいる。リーグ発足時に、元セントラル・リーグ審判副部長で、四国アイランドリーグの審判責任者も務めた福井宏が審判責任者に就任し、リーグ独自の審判部を発足させた。審判部には20 - 30人の審判が所属していた。しかし、選手同様審判に対しても報酬が支払われていないと、福井は自身のウェブサイトのインタビューで述べていた。2012年のシーズン終了後、リーグの審判部は解散。2013年度については、福井のブログによると、一試合3 - 4人体制で審判がおこなわれていたという。2008年春の設立発表時の構想では1試合の平均入場者は2000人を想定していた。この当時、既存の独立リーグの平均入場者数は四国・九州アイランドリーグが約1100人、BCリーグは約1800人で、人口の多い大都市圏に位置するメリットを生かすというものであった。また近畿地方には全国規模の企業が多数存在することから、それらの中から安定したスポンサーを確保することが予定されていた。選手への給与は月20万円を保障するとされ、この点でも既存のリーグよりもよい条件が示された。初年度(2009年)は各球団に対してリーグから2009年3月末に3000万円の分配金が支払われる前提となっていたが、5月中旬に至っても支払がなされなかった。各球団はこの分配金を収支計画に組み込んでおり、選手に対する給料の遅配の恐れも生じたため、一部のチームの代表者からは独自に協賛企業を探す意向も示された。5月20日に各球団の代表とリーグを運営するステラの中村社長が会談し、ステラはこの問題が原因でリーグ運営から撤退した。ステラと各球団の契約は破棄され、分配金が支払われないことを確認。各球団が自主的に運営する形でリーグは存続することとなった。三重を含めた5球団の代表は5月23日から3度の協議をおこない、新たな運営母体となる会社を設立することを確認し、6月17日に「株式会社関西独立リーグ」が登記申請された。また、ステラの最高顧問であった石毛宏典とは新たな契約を結ばない意向を示し、石毛は最高顧問を辞任した。存続の危機に直面したリーグでは、無料招待試合の開催や「1000円サポーター」の募集、ファンへの募金活動といった緊急対策も取られた。2009年8月10日、リーグ運営会社の代表取締役が紀州の木村竹志代表から、来季参入を予定していた三重の壁矢慶一郎球団社長に交代。運営会社の登記名も「株式会社関西・東海リーグ」に変更。大阪ゴールドビリケーンズのオーナーが球団経営から撤退したため、当面はリーグから大阪に支援金を出すことに決定。2009年10月2日、選手の待遇をめぐる方針の違いから、壁矢慶一郎リーグ代表が2ヶ月足らずで代表を辞任し、翌年参入予定であった球団の三重スリーアローズがリーグを脱退することとなった。これに伴い、10月5日に紀州の木村代表が代表代行に就任することが発表された。来季も今季と同じ4チームで運営することを決定し、外部から代表を迎える方針と報じられていた。しかし、10月18日に大阪の脱退が決まった。選手への給与は経営問題の浮上によりカットや変更が繰り返され、神戸のように10月の全額をカットするところも現れた。2010年のシーズンに向けては、「固定給月8万円+出来高払い」という案が示されたが、三重はこれに同意せず、脱退につながった。この給与水準は2008年度の四国・九州ILやBCリーグよりも低いものであった。初年度の公式戦144試合の入場者数は9万0191人(1試合平均626人)であった。1試合平均の入場者数では先行する2つのリーグの初年度(アイランドリーグは1068人、BCリーグは1790人)を下回り、発足当時の目標の3割程度であった。球団別の1試合平均では最も多い神戸が798人、次いで大阪・明石の順で、最も少ない紀州は428人であった。2年目の2010年観客動員は、1試合を除き1000人以上に達した試合はなく、特に新加入した韓国ヘチ(旧コリア・ヘチ)は観客動員が二桁を記録することも多かった。その中でも6月22日のコリア - 紀州戦ダブルヘッダー第1試合(大東龍間グリーンフィールド)では、16人と最低記録を更新した。2010年5月6日、コリア・ヘチは運営会社が資金不足を理由に撤退を決定、スタッフ・選手は運営会社を離れてそれ以降はリーグが管理する形で試合を続けた。このコリア球団運営費用を他の3球団が肩代わりしたことで、各球団の資金難に拍車が掛かった。2010年6月17日、神戸・明石・紀州の3球団が資金難のために選手の給与を6月分から全額カットすると発表した(ただし、出来高給分は支払い続けるとし、三田市内で寮生活を送っていた神戸の寮費2万5000円は球団で負担とした)。3球団は選手にアルバイトを奨励し、リーグは後期も継続する方針を確認した。しかし、上記3球団より観客動員が著しく少ない韓国は、大多数を占める韓国出身選手が興業ビザで入国していたため、アルバイトが不可能なことから給与を引き続き支払うとした。この時点でのリーグ観客動員は、1試合平均200人にも届いておらず、スポンサー収入も神戸が昨年比7割減の600万円、紀州も1000万円に届かなかったという。このため、プロから社会人のクラブチームなどへの移行を模索する動きも伝えられた。2010年7月2日、運営母体を株式会社からNPO法人への変更を目指す方針であると報道される。この時点の報道では、神戸・明石・紀州・コリアの4球団は、新しく設立されるNPO法人の支部となり、実施されると所属選手は全員が無給を前提として活動するとされた。練習場や寮などは維持し、収益が出た場合、選手に謝礼を出すことも検討しているとされたが、リーグは事実上プロ野球ではなくなることとなった。7月6日の代表者会議で運営母体をNPOに変更する方針が正式に決定した。NPOは2011年開幕までに法人化予定とされ、それまでの後期リーグ運営は紀州の木村竹志代表が持っているNPO法人に業務委託して運営された。各球団は株式会社を維持するため、木村代表は「プロ野球という位置づけは変わらない」としているが、一般論としては、社会人のアマチュア・クラブチームと同一の環境と認識されていた。2010年12月、2011年度のシーズンについては試合の大半を無料として経費の節減と集客をめざす方針であると報じられた。また、明石は監督代行以外の全選手・コーチとの契約を解除し、「存続が危ぶまれる事態」となり、2011年シーズン以降はリーグ戦に参加せず休止となった。その後も新規チームの加入と休止が続き、2012年はソウル、2013年には神戸と大和が休止となった。また、2012年はカップ戦のみの参加となっていた大阪ホークスドリームはリーグから脱退し、社会人野球のクラブチームとなった。このため、活動停止時点で発足当時から続けて参加していたのは紀州1チームのみであった。2010年時点では各球団は株式会社を維持するとされたが、その後の球団の入れ替わりや紀州のNPO移行に伴い、活動停止時点では全球団がNPO法人であった。2013年10月に、兵庫は独自に芦屋学園高等学校と提携し、2014年に発足予定の同校野球部が日本高等学校野球連盟(高野連)に加盟せず、兵庫の3軍として直接プロを目指す体制にすることを発表した。兵庫はすでに芦屋大学野球部を兵庫の2軍として活動させていた。しかし、この構想に対してリーグの木村代表(紀州監督)は、社会人野球の統括組織である日本野球連盟から規制を受けてリーグが孤立することを危惧し、賛同しなかったことからリーグが分裂状態となり、全球団の脱退に至った。兵庫と06BULLSは12月19日に新たにBASEBALL FIRST LEAGUE(ベースボール・ファースト・リーグ)を設立の上、2014年からリーグ戦をおこなうと発表し、2014年4月25日に開幕した。紀州は日本野球連盟所属のクラブチームをめざすと報じられていたが、2014年3月に当年度の活動を休止することを発表した。2008年3月に「2010年には8球団で運営」と発表されてから、球団数の拡張や参入構想が複数明らかにされたが、その後のリーグ運営の曲折により加入の見送りや脱退が相次いだ。2009年5月20日のステラ完全撤退により、ステラ時代に計画された三重以外の拡張構想についての動向は、その後伝えられることはなかった。また、リーグ運営会社による運営移行後は韓国ヘチのほかに「2009年中に結論を出す」として米国のチームの参入が表明されたが、その後公式の発表はなく、2010年3月に同年は4球団で開催することを表明した。その後は大阪府と兵庫県でチームの脱退・休止・参入が繰り返され、当初の活動府県以外で途中から加わったのは奈良県を本拠とした大和だけである。※2009年の三重スリーアローズと他の中途加入チームに関する動向は既述のため省略。
出典:wikipedia
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