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ロッド・ウッドソン

ロッド・ウッドソン(Roderick Kevin "Rod" Woodson, 1965年3月10日 - )は、NFL、ピッツバーグ・スティーラーズなどに所属したコーナーバック(CB)、リターナー。アメリカ合衆国インディアナ州フォートウェイン出身。NFL75周年記念チームに選出されるなど、名コーナーバックとして知られた。2009年プロフットボール殿堂入りを果たした。少年時代にアメリカンフットボールをはじめたウッドソンは、高校卒業時に奨学金を得てビッグ・テン・カンファレンスの名門パデュー大学に進学する。大学ではランニングバック、ワイドレシーバー、コーナーバック(CB)、セイフティそしてリターナーもつとめるなど、攻守両方で活躍し、13個の大学記録を更新した。またフットボールだけではなく陸上競技でも活躍し、60mハードルのNCAA記録を10年間保持していた。1987年にピッツバーグ・スティーラーズからNFLドラフト1巡全体10位で指名され入団、プロ入り後はCB、リターナーに専念し1996年まで在籍した。プロ初年度の1987年は先発無しの8試合出場であったが、45ヤードのインターセプトリターンTDを記録。2年目の1988年からはレギュラーに定着し、キックオフリターンTDも記録した。その後も1989年からは6年連続でプロボウル・オールプロに選出されるなどリーグを代表するCBとなった。ビル・カウアーがに就任した1992年にはCBとしては異例の6サックを記録。11月15日のデトロイト・ライオンズ戦では、残り3分33秒に敵陣3ヤード地点でエリック・クレイマーにファンブルを誘発し、ターンオーバーを奪った。1993年は30パスディフェンス、2ファンブルフォース、2サックを記録し、最優秀守備選手に選ばれ、翌1994年にはNFL75周年記念チームに選出された。現役選手の選出は5人のみであった。1995年はシーズン開幕戦のデトロイト・ライオンズ戦で右足ACL断裂という重傷を負ってしまったが、驚異的な回復力をみせ19週後の翌1996年1月28日、第30回スーパーボウルには間に合った。相手チームのダラス・カウボーイズのマイケル・アービンは自分は同じ怪我をしたが復帰までに1年半かかったと語り、驚きを隠せないコメントをしている。1996年はリターナーをやめCBに専念し、7度目のプロボウル・オールプロに選出された。1997年からはひざの手術の影響もあり、スピードが衰えためセイフティに転向、フリーエージェントでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに移籍した。さらに翌1998年にはボルチモア・レイブンズに移籍する。1999年にはスポーティングニューズ誌が選出した「偉大なアメリカンフットボール選手100人」の87位に選ばれた。2000年には第35回スーパーボウルを制覇した一員となった。2002年にはオークランド・レイダーズに移籍、37歳となっていたが、デンバー・ブロンコス戦では98ヤードのインターセプトリターンTDをあげるなど、タンパベイ・バッカニアーズのブライアン・ケリーとともにNFLトップの8インターセプトをあげてチームに貢献し、第37回スーパーボウルに出場した。2003年は9月に左ひざを手術し10試合の出場にとどまる。翌2004年、チームの身体検査にパスできず、放出され引退した。彼に代わってセイフティのポジションに着いたのは、奇しくもパデュー大学での彼のインターセプト記録を更新した選手であった。ウッドソンが17年間の現役中に記録した1,483インターセプトリターンヤード、12インターセプトリターンTDはNFL歴代1位の記録である。他にも71インターセプト(NFL歴代3位)、32ファンブルリカバー、137ファンブルリターンヤード、2,362パントリターンヤード、プロボウル選出回数はディフェンシブバックとしてはNFL歴代1位である。コーナーバック、セイフティ、キックリターナーの異なる3ポジションでプロボウルに選出されたのも彼が最初であった。その後、NFLネットワークの「NFLトータルアクセス」に出演する一方、フォートウェインでBMWのオートバイのディラーを経営している。また、1994年以降、少年達へフットボールを教える活動もしている。2011年、ヒュー・ジャクソンオークランド・レイダーズヘッドコーチの下でディフェンシブバックコーチを務めた。2015年2月10日、ジャック・デルリオレイダーズヘッドコーチの下ディフェンシブバックコーチを務めることが発表された。

出典:wikipedia

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