潮田 資忠(うしおだ すけただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。太田資正の五男。母方の潮田氏を継ぐ。太田氏の親族潮田常陸介の養子になったという説もある。武蔵国寿能城(現在の埼玉県さいたま市大宮区寿能町)主。当初は父・資正に従ったが、兄・太田氏資が父を追放して以降は兄に従った。永禄3年(1560年)、寿能城を築く。小田原征伐には嫡男・資勝と共に小田原城に馳せ参じ籠城し、外郭の井細田口の守備をし討死を遂げる。次男・資政は寿能城より脱出し、伯父の太田資武の庇護を受けたのち、土井利勝に仕え、古河藩家老となり、子孫は存続した。
出典:wikipedia
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