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岸田文武

岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年(大正15年)8月19日 - 1992年(平成4年)8月4日)は、日本の通産官僚、政治家。元自由民主党衆議院議員(5期)。父は元自由党衆議院議員の岸田正記、大蔵省証券局長、広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔は弟。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は自民党衆議院議員で現外務大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。広島県広島市出身。1945年旧制東京高等学校卒業。東京大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年七月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。そして、その一カ月後には、郷里広島に原爆が投下され、広島市の自宅はその被害に遭い、また、多くの知人を亡くした。在学中に高等文官試験に合格。1948年東京大学法学部政治学科卒業。1949年通産省(現・経済産業省)入省。1974年貿易局長、1976年中小企業庁長官を歴任して1978年退官。1979年の総選挙で衆院議員に当選。当選5回。その間、地方行政委員会、農林水産委員会、科学技術委員会、商工委員会、文教委員会、物価問題等に関する特別委員会等の委員あるいは理事として、豊富な経験と卓越した識見をもって、「信頼される政治」をモットーに広い範囲で活躍。1990年3月には内閣委員長という要職に就任。政府にあっては、第2次中曽根内閣においては総務政務次官、第3次中曽根内閣では文部政務次官として、大臣を補佐しながら、国民のため、諸施策の実現に真摯な努力を重ねた。この間、特に教育改革の積極的推進に努められ、1986年12月、ジュネーブで開催された第四十回国際教育会議では、日本の首席代表として、各国代表の前で演説を行い、日本の教育改革への取り組みを紹介するとともに、教育の国際協力の重要性を強調した。自由民主党にあっては、都市局長、資源・エネルギー対策調査会副会長、中小企業調査会副会長、調査局次長、行財政調査会副会長などを務め、1988年12月からは党経理局長として、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一の四代の総裁のもとで、幹事長を補佐し、自由民主党の台所を賄った。1992年8月4日死去。1945年8月15日、終戦と同時に、東京にあった家も進駐軍の接収に遭い、また、外地において大きく事業を営んでいた一家の財産も、すべて失ってしまった。岸田は、自他ともに認める読書家であり、秘書が「先生の姿が見つからないときは、本屋へ行け」と言われるほどであった。政治、経済、歴史、科学あるいは文学等と分野にこだわらず幅広く読み、広く国の未来を見据えるために、多くの知識、情報を取り入れ、それを政策として反映させた。親しかった人々に揮毫を頼まれると、気軽に「春風接人」と書いた。当選同期には麻生太郎、白川勝彦、丹羽雄哉、亀井静香、佐藤信二、保利耕輔、畑英次郎、吹田愰などがいる。

出典:wikipedia

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