百合若大臣(ゆりわかだいじん)は、日本各地に伝わる百合若という名の武者にまつわる復讐譚。またはそれを題材にした幸若舞、浄瑠璃、歌舞伎などの作品。幸若舞の『百合若大臣』は、嵯峨天皇在位中のこととして設定されている。都の天子の前で、資産を誇るが子のいない万の長者と、子宝には恵まれているが格別の金持ちでもない朝日の長者が支持比べをして、万の長者は人々の共感を得られず敗北した。負けた万の長者は清水の観音堂に昼夜熱心に祈願し、授けられたのが後に百合若大臣と呼ばれる男児であった。百合若は成長するにつれて弓に長けた勇武の若者となり、その名は近隣にも響くようになる。やがて春日姫という美しい嫁を迎え睦まじく暮らすが、地方の国司に任じられる。百合若は、日本へ押し寄せてきたムグリ(蒙古)の大軍討伐を命じられる。(海の向こう(ケイマン国と呼ばれる)で反乱を起こした鬼を征伐するとも)ムグリを追い払った百合若は、大陸へ渡り、高麗でムグリの大軍を打ち破る。ムグリとの戦闘は、百合若の勝利に終わる。戦いに勝った後、信頼している別府太郎ら部下に裏切られ島に置いて行かれる百合若。別府太郎らは帰国後、天子に百合若は病没したという虚偽の報告をして国司の栄誉を得た。夫を失った姫に太郎は求婚を迫るが百合若の死を信じられぬ姫は手紙を書き、硯や筆・墨を入れた袋を鷹の緑丸の脚に結びつけて空に放した。そのうちの一羽が荷重で瀕死の状態になりながら百合若の元に辿り着き、事を知った百合若は壱岐の船を掴まえ帰還すると正体を隠して太郎のもとに仕える。やがて競射の日が来て、成り行きで得意の弓術を披露するチャンスを得た百合若は自分を裏切った太郎を射抜き復讐を果たす。その後百合若は春日姫と涙の再会を果たし、国司の位も取り戻した。以上が大筋であるが日本各地に伝説として色々に伝わっていて、桃から生まれて鬼退治をするという昔話に近いバリエーションもある。鷹の名は多く緑丸となっており、鷹王山・鷹明神などとして祀っている所も東北地方から沖縄県まで十数カ所あるという。そのうち福岡県玄界島の小鷹神社では伝説の物と称される硯も伝わっている。坪内逍遙は、古代ギリシアの詩人・ホメロスが謡った叙事詩「オデュッセイア」が室町時代に日本に伝えられ、それが翻案されたものこそが「百合若大臣」であるとの説を1906年(明治39)に「百合若伝説の本源」で『早稲田文学』発表した。オデュッセイアのラテン語での発音「ユリシス」と「百合」が似ていることや、主人公・オデュッセウスの留守を守る妻・ペネローペーが織物をして時間を稼ぎ、求婚者をかわす逸話が、百合若の妻の行いを思わせるからである。この説は支持される時期もあったがペネロープ型説話の分布は広く、偶然の一致として懐疑的な意見も多い。井上章一は逍遥の、南蛮時代に伝来したという説は成り立たないが、ユーラシア大陸全体に、前史時代に広まった説話の一つと見るのが妥当だろうとしている。
出典:wikipedia
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