石渡 敏一(いしわたり びんいち、1859年12月19日(安政6年11月26日) - 1937年(昭和12年)11月18日)は、官僚、政治家。法学博士。大審院検事、司法次官、貴族院勅選議員、枢密顧問官。法典調査会刑法起草委員。位階・勲等は正三位勲一等。江戸(後の東京)出身。石渡荘太郎の父。江戸で幕臣・軍艦役並、石渡栄次郎の長男として生まれる。1874年(明治7年)慶應義塾に入り1876年(明治9年)卒業。1879年(明治12年)9月東京大学法学部に入り、1884年(明治17年)7月に同大学英法科を卒業した。同年8月司法省に入省し、記録局翻訳課詰となる。1886年(明治19年)欧州留学、帰国後東京控訴院検事、大審院検事、1899年(明治32年)ベルギーの万国監獄会議派遣、同年4月に慶應義塾大学法学部政治科教授(刑法担当)。民事局長、司法次官を経て1906年(明治39年)第1次西園寺内閣の内閣書記官長。辞任後、1907年12月10日、貴族院勅選議員に任じられた。1912年4月9日、錦鶏間祗候となる。後に東京瓦斯会社社長。1934年(昭和9年)枢密顧問官となる。学校法人日本大学第一学園の創立の功労者。
出典:wikipedia
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